2020年最後の応用コース、存在論を終え
(家に着いて今日こそは書き込みをしてから寝ようと、神様と交流しながらちゃんと在ろうと夕食を食べ布団を敷いてパソコンをつけた。パソコンが充電されていなかったのでコンセントに繋ぎ、その間食器を洗って、ノートにいくつか書き出した。気付いたら敷きかけの布団に倒れ朝だった。わたしはまた書き込みをせずに眠りの世界に飛んだらしい。)
2020年、まだありますが、参加させていただく催しは昨日で締めでした。1年間ありがとうございました。1年は一瞬でした。2019年は2020年よりももっとお金に追われていたので年末は東京で大きな支払いを済ませ「ヘトヘトでもう北にも西にもうごけな~い!」と笑い苦しみながらも大変な充実感があり一緒にいてくれた方のお陰で心ほかほかで年を越し2020年が始まりました。昨日の東北センター存在論でのお話でもありましたように「状態としては不遇に見えるけれどとても良い勉強をしている」とはまさに理解できることです。こうして書き込みをしてみると、ほかにも助けてくれた方々の顔が浮かびます。世の中を知らず実力も過信した愚かな私を助けてくれて本当にありがたかった。2020年をまず始められたのは先生、高麗さんはもちろんのこと、2019年に助けてくれた方々の力をお借りしてのことでした。
(不思議とノートに書こうとしてもこの内容はなかなか出てこなかったので、webサロンに向かうと一人では出来ない気付きがあると改めて驚きます。)
そして始まった2020年。入試の季節が終わるとともに社会を変えてしまった新型ウイルス。これのお陰様でしばらく動きを止めて考える時間ができました。あの、息を止めてバスを乗り継ぎ東京の催しまで向かうときの緊迫感とちょっとした罪悪感、貴重な経験でした。その時は閉塞して先がないように思われても、いだきしん先生の催しやコンサートごとに先生が空間を変えて下さるので、問題にちゃんと向かえば解決していきます。4月や5月の頭では想像も出来なかった良い現在を迎えることができました。
コンサートが続くうちに最近は日本の祭祀、神様の存在を知りました。そのまま感じつつも尊い存在を前に人を見上げたり見下したり勝手なことをして自分の幅を狭めている愚かさ、自分のことをちゃんとやっていないから周りが気になること、ほかにもいくつもいくつも「肝に銘じる」内容がありました。それらは一度気が付けば不可逆的であるところが、さすがはいだき講座受講生だと感じます。
ぬくもりあり、いのちやさしい存在として生きることを望みます。
いま、購入できた薬膳茶を湯煎しています。これから家族でいただくところです。パンも車で一人ガツガツ食べるのは卒業にして持ち帰りました。一者がはたらいても、知性がないと心と魂が暴走し、獣のようにがっついてしまうんです。かみさまはきっと去って行くことでしょう。2020年とともに、ありがとうを言いながらその状態を卒業できることに感謝致します。
自分にとっては2020年のまとめとなりました東北センターでの催しと、新たな1日のはじまりをありがとうございます。