2日目、府中でのコンサートをありがとうございました。
5/31、渋谷コンサート、そして昨日6/1府中コンサートに参加させて頂き、ありがとうございました。
渋谷コンサートの一部はお聞きしている時にふと仕事の相棒が浮かびました。仕事のことになると色々あり、文句を言ってしまう場面が多く、自分は人とちゃんとわかり合って人生生きていけるのかと考えてしまうことが多いのですが、コンサートの時に見えた映像は何か起こった時は生命かけて助け合っている場面でした。途端に涙溢れ、自分は人とこのように生きていきたいのだとわかり、また涙でした。しかし、毎日どうしたら内面豊かに人と交流して幸せに生きていけるのかは考えますが「人生」となると考えてないと感じました。宇宙、そしてもっと広い世界、目に見えない生き物など考えていくと一個人である自分の存在など点にも満たないと感じます。しかし、存在しているもの全てが必然であるものなら必然でいる存在なのだろうと感じます。先生の毎回のメッセージがどんどん大きくなっていき、どこまでも広がり、お聞きしてもすぐに分からないことが多いのですが、経験させて頂いた生命で真っ当に生きる時、自ずと答えが得られるかなと感じます。
2部のメッセージをお聞きし、もっともわかりたいことと感じるメッセージだったのですが、不思議にもドキッとしたり、すごい反応をしない自分がいて、あれっと感じました。いだき講座を受講する前の私は自分勝手、わがままと言われ、自分でもそう感じていました。やりたいとか欲しいと思うとどうあっても何とかしようとしてしまうし、ちょっとしたことで納得できなかったり、何が嫌なのか自分でも分からないのだけど何かがいやだととことん話さないと気が済まなくなり相手を困らせていました。結局話しても分かり合えることはなかったです。いだき講座を受講させて頂き、何年か後にジェンダー講座が始まり、もっともわかりたいことと感じ、受講させて頂いた時に初めて自分の女性としての気持ちを自分以上にわかってくださる方にお会いできたのだとわかり、号泣しました。それからしばらくの間、ジェンダー講座にで続けました。女と男の関係に神が寄り添うとはなんで素敵でしょう。高麗さんが10年以上前に高句麗伝説、精神の源を辿る旅の前に麗花の映像と詩の語りの時に「僕と神とどちらが大事なの?」の答えに「神よ」と言い放った女性の言葉に感動し、神が寄り添わない愛は愛ではないというような詩(言葉が正確でなくてすみません)に深くうなづいていたことが思い出されました。演奏は聞いたことのない音でただ背筋を伸ばして身を置かせて頂きました。
そして2日目の昨日府中コンサートです。昨日のメッセージも難しかったです。一部のメッセージをお聞きした時、私は眠れないなんてことないのだけど起きた時に爽やかに起きられないことがけっこうあるので眠れていないのかなと感じました。2部の天性はそれがわかりたいと感じますが、そうでありながら怖がっているようにも感じています。先生のすごい迫力の演奏にピアノが壊れるかもと感じてしまいました。自分の中の壁か余計なものを破壊してくださっているようでした。
コンサートが終わり、その後次の日から出店する百貨店に搬入に行ったのですがその辺りから少し傷んでいた歯と頭が痛くて困りました。座骨もまた痛くなっていました。仕事をしてましたので何とか持ちこたえましたが、深夜になってしまったこともありなんだかどっときて頭の痛さもあり倒れるように寝ました。今朝、歯の痛みも頭痛も少し引いていますが鈍痛があり、これは生命に違和する自分の何かに違いないと思いつつ、出店しております。高麗さんがビデオ講演会で仰っておられました甘くみたらダメなんだというお言葉を考えます。本日も夕方、コンサート会場に向かいます。宜しくお願い致します。