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コンサートに挑むことが今の道


明日は12月だというのにそう寒くない夕暮れを今日のヤマハのコンサートへと向かう夕暮れはときめきばかりです。風は見えないけれど、木の葉の間を吹き抜け、ときめきも見えないけれど、胸のうちが空間と、風と、ひとつになります。

昨日の三鷹のコンサートとはまるで違う今日のコンサートの音と体感は一回でも今後コンサートを外すことはできないと感じるばかりです。一部も二部もずっと頭を変えてくださる凄さと音に、一部の休憩時間は意識朦朧状態でした。二部もずっと頭に音が回っていました。つぶっている目から感じるのは、ゆっくりと螺旋を描くように頭が回っているように感じ、実際そう動いていたのかどうかはわかりませんが、頭は螺旋を描いていました。ただただ頭を感じるというより、頭ばかりしか感じません。体はどんどん脱力していき、ひたすら頭と脱力していく身体が何を感じるというよりもひたすら先生の音を聴いていました。昨日の三鷹のコンサートとまるで違うのです。終盤、そんななかで一本の道のような何かが見えてきました。中東の遺跡のような歴史を感じる古い道の先に大きな湖が幻のように広がっている光景でした。先日BSテレビでイランの大使がイランの文化や今アメリカから受けている制裁についてインタビューされているなかで語っているときにペルセポリスと見えた遺跡が一瞬映り、先生のコンサートで行かせていただいた懐かしさが蘇り、イランはもう他国と感じられないほど親近感が続いていることを自覚しました、自分にとっても、イランはやはり特別な国のような気がします。初めてイラン編を精神の源を辿る旅で見たときのあの衝撃は心のなかに未だあります。宇宙、神を感じたイランでした。そんなことから遺跡のような一本の道が見えたのかもしれません。そして最後は愛に辿りつきました。愛を感じると涙が出てしまうのはいつもです。

高麗さんに、誰かいるように感じると言っていただいてお預かりしたチケットを誰にお伝えしたらいいのだろう、、、と皆目分からなかったというより、いないよね、と思っていたのですが、コンサート中にひとり、急に浮かんできたのです。つい最近知り合ったばかりの方ですが、お伝えできる機会は少しの時間にあると思いました。

コンサートの帰り道、友と歩くとき、今日のコンサートのすごかったことを話しながら歩いていると、私の目が休憩時間は焦点が合わないような面白い目だったけど、今、目が大きくなっているよ!と教えてくれました。お化粧ではこうはいかないよ!ということです。目も頭と関係しているのですねと感じます。

毎回毎回外すことはできないコンサートを今日も銀座のヤマハホールからありがとうございました。

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