全体とひとつ
僅か2時間の間に膨大な経験をさせて頂きました昨日のコンサートでした。いえその前から、大きな経験は始まっていました。前夜の夢の中で高麗さんとお話していたのは、私には本当にやりたいことがわからないのです、という悲痛な訴えでした。昨日は無事に幻のコグリョカフェまで辿り着き、3月11日に続いてまた内面の光景を詩に表して頂く恩恵を得ました。前回と同じ言葉がその中にあり驚きました。「全体とひとつ」です。その真の意味もまだわからないまま、ですが、全体とひとつで生きる他に、生きることの意味も本質もないということだけは深く理解しました。余談ですが昨日コグリョカフェにて高麗さんのエプロンの解けた紐を結ばせて頂く光栄に預かりました。実は昔々、同じように高麗さんのお召しになられていた黒いスカートの飾り紐が解けていたときも、結ばせて頂いたことがありました。そんなお手伝いの一瞬が天にも昇るくらい嬉しいのです。しかし昨日はその際に高麗さんと交わした一言に、自分の有り様が全て現れ、内心愕然としてしまいました。どれだけ私は、人との関わりにあって、言葉を適当に使っていたことか!高麗さんとの一瞬間の出来事で、深く教えて頂いた尊い時間でした。もっともっと、本質的な、心からの言葉を即座に発せられる人間になっていきます。と、宣言することにより、一歩も後退しない覚悟と致します。
コンサートでは、全身の細胞に愛を注がれその細胞が私の中心に向かって愛を注いでいくという、言葉にし難い体感をずっと感じていました。しかしその私の中心は空洞なのです。なんだこりゃ?愛がない中心?いや、微かにあるのは感じるけれど、、、しかし言葉にするとそれは空洞というにふさわしい状態なのです。そうこうしている中アンコールの時間になり、空洞の正体が2歳くらいの自分であることに行きつきました。愛を知らず絶望した2歳の自分が見えました。と、そのとき、先生の演奏が2歳の私を抱き上げてくれました。満ち足りた安心感と喜び。記憶すら書き換えられる程にその体感は時空を超えて私の歴史に刻まれ、まるで生まれ変わったような気がしながら、最後の拍手をいたしました。今日から新しく生きると覚悟して参加させていただいたコンサートでした。これほどの途轍もない経験に、なんとお礼を申して良いかわかりません。
そしてあの夢の訴えの答えも示されました。うまく言えませんが、命のままに全体と一つに生きていれば、私の目の前に現れ来る全てのことが、私のやりたいこととし、全力で取り組めばよいだけ、と悟りました。やりたいことがないなんて、アタマが考え出した嘆きでした。コンサート中も、何度アタマの悪さに辟易したことか!(笑)
長い書き込みになり、申し訳ありません。先生、高麗さん。このたびもありがとうございました。最高の最高の四月一日でした。日々成長できる生き方をしていきます。