12月
身体の状態を全部入れ替えたくて、食べることを
整理して過ごしていました。骨と内臓の位置を変える動きに集中して大いなる存在と一つに過ごしていました。絶食、断食ではなくて、タンパク質とお粥、コーヒー、レバノンオリーブオイル、自分の料理以外は、しばらく控えめにして過ごして、書いたり、本を読んだりしてコンサートの配信を聴いていました。お風呂は背中や首の周りをよく洗いました。すると、宮本武蔵の水の巻が少しずつわかって来ました。胸は張らずに、肋骨と横隔膜を動ける身体にと気づいて、足底まで通じる繊細な身体の声を聴きます。
出会う人が腕を組んで話す姿は自己防衛です。相手は自分です。良くわかってきます。
光以外の他のことは、全部もう、わかりません。
何がおかしいのか、ズレているのか、
生まれてきたときから、顔半分、頭半分二つに分かれて裂けていて、足も曲がっていて、ようやく繋がった感じになっているのですが、現象は、お金は全部、愛から始まった命なので、なくなりました。命に値段はありませんが、たぶんこれからは、正体不明の借金苦に死にもの狂いで立ち向かう生き方になるかという今です。
借金を返す頃には、綺麗に薬の染み込んだ身体を解放して死んでいると、良いなあと思います。
お母さんにも、社会にも、信頼を失っています。お母さんは、産んだ私のことはわかりません。自分も自分のことが、どうしたら良いのか全くわかりません。何がまっとうなのか、足が頭で、頭が足なのか。土台がおかしいです。歩けません。過酷な人生はずっと続いて、死んでも同じです。
別にわからなくても、生きていくほかないので、何かを食べる。お腹が空いてから食べる。
いだきから消えるように魂は望むけれど、それも取り憑いてる誰か言ってるのだ。ニーチェのツァラトゥストラをもう一回読んで頭を整理します。
ありがとうございます。
ありのままの内面からの
いのちのことばをそのまま隠さずに
web salonに表現してみました。解けるように出てくる恐ろしい心音の表現です。大変な内容で申し訳ありません。
ありがとうございます。
感謝。