11/22仙台コンサート
仙台に訪れると、体の具合が悪くなることの毎回をこれまでの経験で分かると、その原因を傲慢な頭は仙台の地の空間が良くないせいにしていました。しかし、この度もそうなるのかとの思い込みは過ごして見る中、外れていたことに気づきます。本音を3つ、と数に表すのもおかしいですが、することにより、ずっとありつづけた心の重荷か取れていたからです。先日の日曜日は応用コースを見過ごし、その時間、自分の生まれたことを自然のやっていたことも、未来から見れば、コンサートに向かうためであり、理に叶っていたのだとしたら、この人生は何一つ無駄なことはなく、未来に向かっている、と、言葉になります。この度のコンサートでは、一部で、生き方を伝えないと、と、空間からすぐ聞こえました。作ったチラシに足りないことだとピンときます。自分の伝えたい生き方、とは、を真剣に考えるようになりました。この度は仙台のアーティストの方が来てくださり、色々なその方に纏わるお話を聞いていましたら、こちらの言うことに、だからそうなのか、と頷いておられました。運命を背負った同士が出会う人間関係のことです。何を言っても興味なさそうでしたが、新しい次元で生きたらいいのに、と言いましたら、真顔になられて顔を上げ黙っもて聴いておられました。いだき講座の2月からのコースを忘れずにその方にご案内し、車で駅まで送って下さり別れました。私が帰り道、感じたことは、いだきを伝えつづけ、場を踏む数が少ないことを自身に感じました。話していくうちに、お互いの曇りが取れ、自分の中がより整ってきて、言葉も魂から放つ光を帯びてくる経験をさせて戴きました。
コンサートのメッセージをお聞きし、書き込みを読ませていただきましたとき、まるでいだきに出会う前、初めてするギャラリーに向け、メインとなる大きな絵をと、夢と実際の神秘的な経験から、生まれるがままに筆が進みある絵を描きましたが、途中で高熱が出て寝込んでしまい、実家の母を子どもたちの世話に呼んだことがあります。それから2年後、いだき講座を受けましたとき、先生はまるでその絵を見通していたかのように私に、言葉にならないとね、と仰ったのです。その絵にピッタリのメッセージだと感じてしまい、大いなる存在を感じてしまいます。その絵は最近兄に頼みこちらに送ってもらったばかりでした。
この度のコンサートで、生きることは、余計なものをなくし、いつも内面きれいにし生きること、と私の信条となります。
押入れの掃除から始まった、内面のお掃除。整理されていない人間関係も、こちらが真に生きることで、整理されていくと感じます。この度の仙台コンサート、最後のアリランでは、スケルトンの立体幾何学の中にバラの花がいくつも連をなし、空間を転がるようになして見えました。
春のまた春がきた、ルルルと川のせせらぎが聞こえるような楽園の旋律、先程の見えた光景も、昨夜昔、描いた絵を整頓していましたとき、みつけた絵とよく似た光景であると、ドキッとしました。お客様も途中は暗かったけど、最後の演奏がとても明るくて、気持ちも明るくなれて良かったと、言っておられました。表現させていただき、誠にありがとうございます。