11日のコンサート、「死中に活を求めて、死中に活を得る」が日常になる日々、夢か現か、の先
お早うございます。11日のいだきしん先生のひかれる音の響きが響いております。内奥を辿り日本人の心性を呼び起こしても私には遠く、しかし、コンサートの経験はよくよくしみています。とここまでは11日の下書き、書き込んでも意味ないとやめました。ところがどんどん事態は変わり、コンサートにて、身のうちに経験は大きく深くなり、皆様の書き込みを拝見し、高麗さんの書き込みにも講演会の言葉にも瞬間姿勢正され、つまりはかなりずれて狂っていることが分かり、またしても、と書き込むことから始めます。今朝はいだきしん先生が言われていた競馬ライターのことが何度も行き来します。こんなぼうっとしていては何をしても人の役にも立たず、生まれてきた生命にもなんともしがたい事です。そう書いているそばから地域の事での手配続け、日程次々埋まっていき、これ以上スピードあげなければ京都へ、お連れできないと気づき今日心入れ替えます。誠にありがとうございました。いだきしん先生、高麗様、本当にありがとうございます。