大宇宙を自由に生きる
昨夜は、ベットに入ってから、書き込みに書き忘れたことが次から次へと浮かんできました。先生がロシアの雪原で演奏されているお姿、北極圏のオーロラが見える地の教会で。。。この教会は実際コンサートを開催したことがありますが、広大なロシアの雪原では現実的には到底無理ですが、先生の演奏が大地に届いているのだと感じるととても喜びを感じます。海の中でも。。と世界の隅々まで届いたのではないかと感じる程に世界を感じる演奏でした。
そして秋晴れの青い空が広がる今日は、再び三鷹の地でのコンサートを開催できました。「無双」というタイトルで始まるメッセージは読んでいるだけで生命が躍動し、喜び生まれます。
「無双」とは、他とは比べものにならない優れている事とか、人の意味です。今までもですが、これからはますます必要不可欠なあり方、生き方です。他と比較して少しぐらい優位に立ってもすぐに奈落の底に落ちます。比較することを好む人は負けた方が比較することの無意味さを知る機会があるので、自己の天性に目覚める可能性があります。ただただ優れていることを活かし伸ばしてこその人生です。何があっても年々豊かに才能を磨き、世界の今と未来に貢献することです」
真にと深く頷き、最高のメッセージをいただき、喜びあふれます。私は子供の頃から人と比較されることを嫌がり、比較されない位に秀でることを望みました。先生に出会い、そのように望んだ意味がわかりましたが、先生に出会えずに生きた過去の時は「優れていることを活かし伸ばしてこその人生」はとても生きていけずに苦しみました。いだき講座にて生まれつきの運命を解放していただき、母の胎内に発生した瞬間の光を見出した時、この光こそが真の自分であり、真の素質、資質、才能、存在をあらわすとわかりました。この光は誰とも比較できず、世界でたった一人の自分であるのです。いつも14歳の時に先生に出会えていたら、死ぬ程苦しまずに、生きる意味を見出し、世界に役立てる人生を生きられたと未だに表現している程に先生に出会える人生と出会えない人生は天と地ほどの違いがあります。
何かあっても年々才能を磨き、世界の今と未来に貢献する事です」とは望んでやまないメッセージです。涙にじむほど嬉しいです。演奏は三鷹風のホールであればこそお聴きできる音が風のように吹くのです。この上なく心地良く、美しい音にただただ感動し、魅せられます。このような音がこの世にあるでしょうか。聴いたこともない美しい音に魂震えます。美しい音と共に、美しい人、男性が立ち現れました。「王」とあらわす人です。王は天の光を受ける人間とわかります。草原を駆け抜ける姿は光そのもので、戦いは寸分の狂いも隙もなく美しいです。技、芸、表現は光をあらわす手段と教えられます。やがて、技も芸も手段も生命と溶け込み、光がより輝いてくるのです。才能を磨くことをその姿で教えてくれました。凛々しく、美しい王は一昨日の三鷹でのコンサートの時に初めて現れた王です。演奏をお聴きすると同時に詩が生まれ、まるで私には高句麗伝説の舞台のようでした。草原を駆け抜ける風とひとつに動く心地良さだけがずっとあり続けます。
第2部は、「無双愛」です。このような熟語はないとメッセージにてお伝えくださっていますが、「意味あいとしては、比べることのできない唯一の「愛」です。自然のすべての生命に歓迎され交流し、宇宙に届き、宇宙空間と交わり、おおいなる存在の意を体現してすべてに尽くします」との後半のメッセージに魂震える程感動します。これほど素晴らしい愛を経験できることもこの上なく幸せを感じます。私は演奏をお聴きし、立ちあらわる大宇宙空間を自由に飛翔しました。宇宙のあらゆるメッセージを受け、交信し合い、何をも可能にし生きる状態を経験しました。ラストの宇宙交響楽のような壮大なドラマチックな演奏では、すべての存在がこの時を讃えてくれていることを生命で感じ、感動、感動の連続でした。「たった一度の人生なのだから、こうやって生きてみろよ」と大いなる存在におっしゃっていただいたように感じ、「はい」と答えました。真にたった一度の人生です。コンサートで経験する至福の喜び、愛を体現し生きていきたいと心より望みます。アンコールでは「高句麗大王」「高句麗大国」と王と国に大が付いています。新しい国を創る魂が勢揃いです。今も尚あり続ける大宇宙で生きる自由な生命で生きていきます。ありがとうございます。