KEIKO KOMA Webサロン

今、永遠、愛


講演会、ビデオ講演会で号泣してしまい、心臓と、体の左側が痛い状態。でも別に死ぬほど痛いわけでもなくて、数日前の自分であれば気付かない程度。コンビニでおにぎりやチョコレート(申し訳程度にグルテンフリーは気にして)を食べて眠ってしまえば特に何もなく翌日を迎える程度の痛み。10/9の書き込みに書かせて頂いたように『感じることをごまかさずにそのまま感じるゲーム』をしたことから始まった私の『2020年10月、東北センターの催し』。10/11には、『感じることをごまかさずにそのまま感じるゲームをしている割合を増やす』ことに挑戦しました。同時に貧しいと「今」を感じられない場合が多いのではないか、逆もまたしかりで「今」を感じられないと貧しいことが多くなるのではいか、という気付きがありました。ここでの貧しさの定義は「豊かな雰囲気でない」。周りばかり気にしたりすると、どうしてもそうなってしまう。そして来る最終日。10/12は、東北と日本の未来を「語る会」、高麗恵子講演会「本音で生きて下さい」、高麗恵子ビデオ講演会へ参加させていただきました。

語る会には、もちろん「東北と日本の未来を考える・語る会」であることを承知の上で、ご寄付をしたり催しに参加するにはお金が必要だと考え、「お金持ちになる」ということを念頭に参加させていただきました。最近そう考えて、お金持ちになるための本を読んだり、動画を見たりしていたら、「お金持ちになりたければお金持ちに近づけ」という内容が良く出てきたので、「ようし」と意思をはっきりさせて参加したことで、思いがけずわかることがボロボロありました。アウトプットして認識しておくことは重要です。しかしそれらの思いがけずわかったことは、当初自分が望んだものとは違ったので、また新たに考え直しです。どれもいだきへ来ているからこそわかる、一般社会では到底わかりえないことです。DX、豊かな人たちと貧しい人たちが混ざり合っていく。お金がなくなる、貧乏がなくなる・・・。語る会では、いただける情報量をはじめ、先生がいらっしゃることによるより深い気付きなどの宝物が多いので、発言を出来なくても、体が申込み用紙を提出してしまうようになったのが数年前からです。語る会を始めて下さった当初は、自分は参加していませんでした。参加するからには語ることが礼儀(禮儀)なので語れるようにと考えつつ、同時に脳梗塞になるくらいに言わない、という、方のことが気になって、なんとかしてあげられないものなんだろうか、と傲慢なことを思ったりもして、私はいつしか致命的なミスを犯しました。「感じることをそのまま感じるゲーム」を止めてしまっていたのです。

講演会では、語る会での気付きから派生して、自分の「お金さえあれば死ぬまで生きていける」というその考え自体が「世間様」であることがわかる、高麗さんの声の音がありました。今に永遠があり愛がある。時間がなければはじまりも終わりもなく今しかない。何度もお聞きしているけど、自分のこととして聞いておらず・・・。ここにきてゲームを再開した私は心臓の痛みを感じていました。感じることをそのまま感じるゲームは、『今ここにいながら自分の体の声を聞く、体を感じるゲーム』へと少しだけ変化を遂げていました。高麗さんの講演会をお聞きしながら心臓を感じていたら両親のことがふと浮かんできて、両親がいつかいなくなるのはさみしいなあ、と感じると、心臓がばくばく音をたて出しました。これまでも講演会で涙することはあったのですが、自分の体感として前例無いほどに高麗さんの発される本音に体の左側が反応して、一番前の席でお見苦しくて申し訳なくも号泣してしまいました。号泣第一弾が終わりこれで静かにできると思いきや、映像と音声の登場にともない心臓が反応しまた号泣してしまいました。体とは別に頭が、「お前泣いて気を引こうとでもしているんじゃないか?」と私に語り掛けます。そうなんだろうか。ちがうとは思う。とりあえず嗚咽が止まらない。ビデオ講演会への合間に隣の方に話した自分の話が、間違ってはいないと感じるもののどこかとぼけていて自分の声が不快、もっといだきへ行って感性を養い研ぎ澄まさないと、若い人をつぶしてしまう、いや、そう簡単にはつぶれないか・・・

ビデオ講演会では、自分でわかることですが、認めないといけない自分の間違いを直視するしかなく、悔しい気持ちと同時に生きていきたくないような絶望的な気持ちもあり、でもどちらも成長過程において、また因子によりよくあることなので間違いを認めたら後は必要以上に気には止めずに、今と自分の体と高麗さんの声を感じることに集中しました。その時点でまだ心臓は痛かったです。すみません、冒頭には「講演会、ビデオ講演会で号泣してしまい」と書いたのですが、ビデオ講演会ではどこで号泣したかを忘れてしまいました。もしかするとビデオ講演会では、号泣しなかったかもしれません。でも泣いた体感は残っています。あとで配信をお聞きして確認します。最後には高麗恵子さんからいだきしん先生へとマイクが移動し、いのちのことばのお話をお聞きしました。今ここと自分の体を面倒がらずに常に感じていないといのちのことばは到底かなわないと感じました。

貴重な催しをありがとうございました。

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