1点から
朝一番にレバノンに送る鉛筆削りが鉛筆の数に対して足らないとの
高麗先生からの一斉メールに、写真は撮ってあったものの、
古くないか失礼じゃないかと送信できずにいた写真を、
思わず送信していました。
子供が小学校の時から使っていた手動の鉛筆削りです。
それが皆さんのお気持ちと一緒のコンテナーに乗せてもらって、
海を渡ってレバノンに届くと考えるだけでドキドキしました。
送って頂けるかどうか一日中、合格通知を待つような気持ちで、
文房具屋さんに頼みに行ったり友人に声をかけたり、一本二本が箱になっていき、
動きが生まれました。
自分が小学生の時にベルマークをみんなで一生懸命になって集めていた時の気持ちが蘇ってきたのは驚きました。
今日の活動がなかったら、
自分の中にある気持ちは普通に生活していたら、
埋もれたまま死んでしまってたんだ。。。
と生きている間に綺麗な気持ちを取り戻せる機会をいただいている事に感謝致しました。
先日の東北でのいだき先生の御講演を受講された「死について」に関して
書き込みくださった方の一文から、
肉体が無くなってからではできない感動がある衝撃を受けました。
又、死者からの伝言が胸に刺さります。
桜が咲くと、いつも悲しい気持ちになっていました。
自分の生まれた場所には山いっぱいに植えられた桜が咲きます。
3万本と言われています。
今年はもう咲きました。
一本一本が光輝いて、とても誇らしく咲いているように見えます。
その桜は祈りの桜です。
戦いの繰り返されてきた時代、弔いの気持ち平和を祈る気持ちで植えられた桜です。
私はその桜を見上げては、武将や僧兵の方々、白拍子の美しい御姿、
別れ舞台になってきた悲しみいっぱいになってきました。
そして、その舞台の桜の木の下に春だけ、NPO高麗さんがエチオピアから
お届けくださる、野生の森でとれたコーヒーをお出しし始めました。
又来年。
が合言葉になっていました。
今年は店主をしてくれていた義母が今年に入って他界しました。
桜の木の下で小説を広げながら、
慣れないコーヒーを80過ぎてから86歳まで淹れていました。
又、いだき受講生の仲間も応援に来てくれました。
山奥の辺鄙な場所は一気に光が灯り明るく元気になりました。
1人の存在の尊さ。
生きている間にしかできない事。を教えてくれました。海を渡って届けていただいてきた大切な森からの恵みがどれほどのことか。
レバノンへの気持ちの表現は、1人の一生を考えさせていただく活動となりました。
一本は細いですが、集まった3万本の桜の花びらは雪のように天から舞い降りてきてくれたように舞います。
今年はそんな別れを繰り返してきたさくらが光輝いて見えます。
いのちの輝きを根源から取り戻す事ができる、
いだき先生 高麗先生との出会い。
歴史の悲しみは自分の中にありました。
そして光に変わっていく経験をさせていただいています。
今年の咲き方は天変地異が起きるとも桜を見てきた方が言われていました。
多くの出来事がいだき先生のコンサートによって、
高麗先生の活動によって一つになり解決の方向を示してくださいました。
レバノンに向けて自分の中でピアノの一音が響きます。
遠いシルクロードも海を渡って帰ってきた人がいたんですね。
高麗先生の一言にいのちに刻まれてきた真の歴史を今に、
皆さんと共に
本日も経験させていただきます。
一枚の花びらの輝き、一点の気持ちからはじまる
仙台でのピアノコンサートを空間でも経験させていただきました。
まことにありがとうございます。
本日もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
梅本佳代