9月1日に
遅くなりましたが迎賓館コンサートを真にありがとうございました。人づてに聞く京都での存在論の内容を全身そのまま「はい」と分かり、感謝と共に飛翔経験した、のでした。
それは今も確かに経験したと分かっていますのに夜行バスの中でもう言葉にできないことにまごつきあわて、「頽落」とは何と言われたか抜け落ちていました。何を「ゴール」と言われたのか?と記憶喪失かと落ち込み、しかし、それが今の私自身の現実と受け止めここからスタートするよりないと覚悟決めました。翌日満を持して出した原稿がとんでもないひどい原稿だと昨日酷評され更に姿勢正されしかし、昨日何度も高麗さんのビデオ講演会を拝見し書き込みを読みまして、打ちのめされることでないと気づいていたことがはっきりしました。
いだきしん先生、高麗さんの存在知りこれまでのことを知り一人でも伝えることができた日とそうでない時との違いを私自身よく分かっていました。しかも、先生が迎賓館でされた歴史を変える人の生活の質を根底から変えた音の純粋瞬間の連続を私は経験しておりさらに忘れたと嘆きながらもたった一点ずっと胸から腹にある「空間とひとつになる」ということはしかとあること。これに依拠せず失ったもので自分を責め責めることで悪魔に加担し、怠けようとする心性。真に唾棄すべきものです。
経験した私は経験したこと今のこの瞬間のことを言葉にし、人に伝えます。より正確にと努めます。いだきしん先生、高麗さん、真にありがとうございます。始まりの1日に、とお手紙もありがとうございました❗