8月
私は何をわかっていたのだろうか。何処へ向かっていたのだろうかと考える日々でした。まるで御膳立てされたように見聞きすること起こること。すべては、先生と高麗さんが出会われて40年という時間 絶え間なく働いて下さった事、はかりしれないこと。同時に働いたおおいなるおはたらきの証とわかります。狂ってしまったと嘆く面ばかりに気を取られる私に対し、そうではない、もうこんなに変わっていると諭すように、IDAKI のおはたらきを目の当たりにし、在り方を考える連続でした。生命の光のままに生きられる時も場も拓いていただいているのです。捨てきれずにいる古い意識や習慣を、いかに早く手放し何処まで素に成れるかに挑む日々は愉しく、これが歳を重ねるということ、力を抜くことならうれしいです。
待ちに待った難民キャンプからのお写真をありがとうございます。レバノンはじめ海外からのお便りが届く中、東京オリンピックは終わり、台風も通り過ぎ、日本は戦禍を最も身近に感じる8月です。生命は、意識せずとも昨日から「高句麗伝説」をお迎えすると備えていました。生まれてきた意味、真の自分、真の平和、愛をわかる源であり、新世界生まれる瞬間瞬間は此の上なく尊き場であります。身を運ばせていただけます恩恵は自分ひとりだけのことではありません。
真っ新で生き、新たにはじめさせていただきたいと願う今日、生命あり、KOMAEの地へ集わせていただけますことに感謝申し上げます。
何卒よろしくお願い申し上げます。