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8月


昨日は広島の原爆投下のニュースのときに一緒に黙祷を捧げました。夜もニュース番組の中で広島で原爆にあわれた方が、原爆が落とされる前の暮らしや、街並みを語っていらっしゃいました。だんだん戦争のことや原爆が落とされたにもかかわらず風化されて行くことが恐ろしいと感じます。深川生まれの父や、下町生まれの母から、子供の頃はよく戦争の話を聞かされました。両親が結婚してから深川の大空襲にあったときのことはとくによき聞きました。父は海軍でしたがほとんど船にいたらしく海軍としての戦争体験は聞いたことがありません。直接父が戦争に関わった話は一度も出なかったのでよくわかりませんが、もっぱら聞いていたのは戦争という怖さと疎開していたときの話でした。深川で生まれ、育った私ですが、20代の半ばまで深川で暮らしていました。当時の深川にはまだ戦争で受けた傷跡が色濃く残り、土地から受ける重たいものを常に感じていました。深川にいると災害時には危ないという両親の考えから今は実家は千葉になりました。高麗さんの昨日の書き込みを拝見して、戦争のことを自分のこととしてはピンとこないと発言する方がたは人間ではなくなっているのです。という言葉に、自分のことを言われているような気持ちになりました。が、戦争だけは起こしてはならないという気持ちはなくなったことなど当然あるわけもなく、深川というところで育ったことは幼少の頃から戦争で焼け野原になった土地の重みを常に命で感じていたのです。自分が悪い、という感覚がどこか根本にあるということに気がつきます。一旦、まず自分に非があるのでは、と思ってしまう傾向があるようには感じていましたが、昨日の高麗さんの書き込みを拝見した直後、自分も戦争がピンときていないかのように思っていく頭があったのです。その大きな要因は、今の社会の風潮にもあると思いますが、平和を一人一人つくりあげていくことと現実のギャップがまだまだ大きいからです。これからも8月のジェンダーをはじめ、死について、高句麗伝説という飛躍できる大きな機会がありますことに感謝いたします。

 

 

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