2日間のコンサート
三鷹コンサートでは、5/26日からずっと腰と左の背中が痛かったのが、コンサートで抜け出し、翌朝はよくなっていたことが本当に助かり感謝しています。コンサートでは言葉にもできないよけいなものが出ていく光景がみえました。
一部の終わりに、川崎での痛ましい事件があった日に、私は昔やっていた仕事に早朝でかけてしまったことを悔いている気持ちが噴出してしまっていました。川崎といっても二駅先の地であり、そこは仕事でよく歩いた地でもあったのです。
一人の動きが世界と連動していることを感じ、憶測ではない現実であることが解ってきているようです。見えない世界にはごまんといろいろな存在がいて、内面に入り込まれた結果、先生のピアノの音が内面に入ってこないという結末でしたので、急きょ、今後の仕事をキャンセルしました。二部はまったく違い、音とひとつになれたのです。そして二部の終わりには、「先生と高麗さんとともに生きることを誓う」と心の中で叫んでいました。美しく心に愛がひろがるアリランの調べをお聞きし、会えなかった人たちが会えるきざしを感じました。みなさんと手拍子をうつ音に愛を感じ、全体とひとつに生きる幸せに心満たされました。
武蔵野コンサートでは一部は、私は母の愛を感じ、それは高麗さんの愛なのでした。
宇宙から注がれる愛はパイプオルガンの音で表され特別なフィールドで全身宇宙の愛にしっかり浸り、この上ない幸せに満たされるのでした。パイプオルガンの音の世界は、私の故郷のように懐かしくあるのです。幼い頃の光景です。
子どもたちを育てるために仕事でいそがしくある両親のもとに育った自分は、いつもどこかさびしくあったのですが、幼い頃通うキリスト教の幼稚園で、遊ぶとき子供たちを見守るように心やさしく声をかけてくれていた牧師さんが礼拝堂で弾くオルガンの静寂な空間が好きでした。パイプオルガンの音に出会えて、そこには神様がいると感じてなりません。
神の愛です。
二部ではロビーにもお写真が飾られてありましたが、白神山地でしょうか、ピアノの音からは奥入瀬の川の水のしぶきがみえるように感じられ森全体にそれらは広がります。森の生命は先生の生命とひとつであり、先生の分身であり、その空間に息づく生命、存在、すべてがいきいきと新たな精神を得て力を注がれ、つながる森と森とがしっかり手を結んで、この日本の大地を守ろうと答えてくれているような状況を創りになったように感じます。また、二部では、先生の奥様の晴美さんが感じられ、奥様との愛が私の胸を貫き、涙なしでは聴けませんでした。先生でなければ闘えないみえない闇との闘いに、なくてはならない愛がいつも私たちを支えてくださり、いのちかけて闘われる先生のお姿に、だまってみているわけにはいかない申し訳ない気持ちになるのでした。そしてまた、泣くのでした。
先生の愛の大きさはあまりにも広大なことが、このたびの武蔵野のコンサートでわかりました。
今までよりももっと細やかに、もっともっと細やかな発見がこれからもあるに違いありません。
いだきをしっかり伝えていけるようになりたく向かって参ります。
アンコールでは雨のとき道端に水たまりをさがし、みるのが好きなのですが、水の波紋がみえました。
水の波紋を描いてみたいと感じたことを思い出させていただきました。
いつものアナログ的なやりかたではなくて、デジタルで、です。
今日はいろいろなことがありました。創っている会社のことも一歩すすめ、また一方では、お仕事の面接が今日あったのですが、時間を間違え、少し遅刻してしまったのですが、面接管の方がとてもいい方で、面接に通り、とてもうれしい一日でした。先生、高麗さん、ありがとうございます。スタッフの皆様、すべての皆様、コンサートの開催を、ありがとうございます。