KEIKO KOMA Webサロン

11月1日コンサート聴く会にて生命拾い


昨夜は疲労困憊となり、ただ眠ることよりないと帰宅し、休みましたが、朝目覚めた時、今までの人生で初めての体感に驚き、不安に襲われました。高句麗王の魂がいなくなったような体感でした。最近、先生に高句麗王が取り憑いてしまったかのような表現をお聞きしていましたので、グズな私に見切りをつけてしまったのかと考えてしまうようななんとも表現しがたい今までにない妙な状態に大変驚き、戸惑いました。血の気が抜かれていくようで、生きていけない、と感じました。同時に、先生に出会える前までの精神の苦しみにも襲われ、生きていけない苦しみに、困り果てました。私は高句麗王の魂に助けられ、先生に出会えるまで生き延び、先生に出会えたことは先祖の悲願であるということを生命をもってわかりました。そして生きるということは誰のせいにも、社会のせいにもできないことを今日ほどわかった時はありません。全ては自分の内面の状態で起こることであり、内的環境が外的環境を創るとは、重々わかって生きてきましたが、何のせいにもできないことを生命の芯でわかったのです。人や周りや社会のせいにしている愚かな殻も見え、いかに意識によって愚かな殻を創ってきたかも素通しで見えました。

11月1日のコンサート後の毎日は、意識のズレが素通しで見えるのです。ほっておくと、生命落としかねない恐怖を感じます。先生に出会えてからは本音で生きると、たくさんの働きかけを受け、なんでも実現してきました。頑張れば必ずやれると思う意識も、傲慢であり、奢りをも感じる意識の枠が見えた時、私は大いなる存在と繋がり生きることなくして生きていけない生命と身を以てわかりました。

生きていけない苦しみを感じ、背中が重くて動くこともままならず、体を動かしました。最近は先生に教えていただいていますので、体を動かすことで苦しみや不調を改善できるようになりました。が、今日はどうにもなりませんでした。突然、かぶり、と気づき、目を閉じれば、黒い化け物をかぶっていました。寒気がする魔物です。何かはわかっています。咄嗟に先生にお電話をしていました。正体がばれ、先生につながり、抜けていきました。やっと生きた心地がしました。

夜には11月1日の三鷹でのコンサートを聴く会があり、生命拾いしました。この会は明らかにお告げと感じています。色々な行き違いがあり、私は一刻も早く聴く会をやらねばならぬ、と緊急事態を乗り越えるような気持ちで一番早くに時間が取れる日が今日であったので、させていただきました。以前からの用事があり、7時半には間に合わないことを承知の上、今日開催せねばならぬという一心で決めさせていただきました。その意味は今日の経験をもってよくわかりました。先生の音は大きな星の塊に見え、揺るぎなく、在り続けます。圧倒的な迫力であり、有無を言わせぬ力があります。星の塊は魂とわかりました。空間には揺るぎない魂が蘇り、共に在ります。この空間をわからずに生きることはできず、死んでいくのだということを今朝の苦しみを持ってわかる経験をしました。時代が変わったら、生き方は自ずと変わるのです。時代が変わっても変わらずに生きていくことはできず、死ぬより無くなってしまうということを生命を持ってわかりました。いつの時代も動く民族が生き延び、動かぬ民族は滅んでいくとは人類史が教えることとは知ることでしたが、真にそうであることを経験しました。魂が進行し、蘇り動いているのに、生きている人間が動かねば、倒されていくのだとわかります。生まれて初めて高句麗王の気配がなく目覚めた朝は亡骸のようでした。私は高句麗王と共に生きていきたいと心の底から欲しました。

有無を言わせぬ圧倒的真が現る音の連続に、生命の内にある余計なものは祓われ、一掃されます。最後には自分の内に病の巣を見ました。嫌なことに気を取られ、心を奪われていくことは病の巣が引き寄せているのだと見えるようにわかりました。先生にお会いした当初から、嫌なことを気にし、悩み、嫌な人に気を使い、苦しみ、悩み。。。していた私に、何故、嫌な人の為に時間を使い、エネルギーも消耗するのか、とおっしゃる先生のお言葉に目が覚めました。今では、どんどん動くことが答えとわかっていますが、嫌なことがあると体が苦しくなり、抜け出すまでに時間がかかります。これがグズの元と演奏をお聴きし、見えました。なんとかしたいと焦っていると、先生の音が爆弾を投げ込まれたように病の巣に投げ込まれ、爆発し、全てはぶっ飛びました。生命助かりました。痛快であり爽快でした。そして拍手が湧き起こり、演奏が終わったことに気づきました。アンコールでも手拍子と共に演奏してくださるピアノの音は魂の塊となり、私の内の隙間や欠けているところ、足りないところに打ち込まれるようにし、身になっていくのです。全て埋まり、魂の塊となり、先生の魂の塊の音と一体となり、魂に満ちました。大拍手を持って聴く会が終わりました。生命助かりました。お告げとしか考えられない決め方で開催させていただきました今日の聴く会でした。その意味が甚くわかり、感謝よりありません。11月1日に先生が表現された世界で100パーセント生きていかねば、文字通り生きていけないことを11月1日以降毎日経験しています。意識のズレが浮き彫となり、空間とも生命とも一致せねば、落ちていくのです。恐ろしい程に、容赦なく起こります。今日の聴く会での経験を持って11月1日以降の日々のことが整理でき、理解できました。当日もピアノの音を超え、この世の音とは思えぬ音の連続に驚き、感動の連続でしたが今日も無我夢中で必死で音を聴かせていただき、どんどん上昇、飛躍していく内面に、生きていることの感謝に震えました。11月1日に表現された世界で100パーセント生きなければ生きていけないことをわかることよりないと教えていただく為に聞く会が必要であったのです。働きかけに深く感謝します。

今日となりましたが、10月1日の三鷹公会堂での「高句麗伝説」聴く会を開催させていただきます。先生は10月1日と11月1日がつながっているセットのようなコンサートとおっしゃったので、今日と同様に1日も早くと考え、2日間連続開催となりました。12日の夜が空いていることに気づかずにいたのですが、突然空いていたと気づいたので、開催できることになりました。今日の生命拾いの経験により、生きる上で必要であることを生命で感じています。生きていけるようにと働きかけてくださり、私は感謝よりありません。生命があるということはやることがあるということも身を以てわかりました。生きていて何もしないことは生きていけないのだともわかりました。私は先生の働きをお伝えせずには生きている意味もなく、生きていけないとはよくわかっています。気持ちはお伝えしたく生きていますが、これだけ危機にある時代はもっともっと早く、大きく動くことが必要です。目を覚まし、動く時と肝に銘じ、動きます。

昨日、アンフィニにて、スタッフが高麗帝国の印とし作ったネックレスをしていました。あまりに美しく、なんとも言えずに上品な輝きを放つことに魅せられ、思わず先生に「いいですね」と、ネックレスを指差し申し上げた時、先生はこんないいもの、100万出したって買えないんだよ、とおっしゃってくださいました。この一言で目が覚めました。生きる価値を表現し、売っていくことは今後必要とわかりました。最近のビデオ講演会ではお話していますが、私はネックレスを作る時、一つ一つ作るのではなく、10個くらいを同時に作ります。全体とひとつの図形が見えるので、全体とし輝く並びを作ります。目に見えない世界が見えるので、やれることと今日になると気づきました。この資質は高句麗2000年の魂受け継いだものなので、自分だけのことではないということも改めて目覚めました。先生に出会う前はおかしいと言われてきたことが異常なことなのだとわかります。人間が生きていく上で真の価値を創造していくことはいだきを始めた時から考え続けていることです。いだきで先生がお伝えくださることが人間とし生きる上で最も価値あることと表現していくことに尽くします。人間が人間であれば世の中もよくなります。

いつも生命助けていただき、気づきの機会をいただき、人間とし真っ当に生きる機会に目覚めさせていただけますことに深く感謝します。ありがとうございます。

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