魔が変容
魔が魔として退治されるのではなく、人と共に変容して行くのではないだろうか。そんなことを感じさせていただいた、昨夜の高麗さんの投稿です。何が琴線に触れたか、胸の中は感謝と感動でいっぱいで、涙滲みながら拝読しました。今朝は急に目の前に「読め」とばかりに現れた12年前の日記帳が出てきました。パラパラと読み進めると、先生のコンサートで気づいたことや経験したこと、一生懸命書いていました。その体験はいまに通じ、未来にまでも通じているとわかります。12年前、ある出会いが結構な試練を私に齎したのですが、それもこれも、先生が見守ってくださっていた(というか、私が自分でこの愚かさに気づくまで、黙って支えてくださっていたとしか考えられません)ので、本来でしたら人生終わってしまうほどのことであったのにこうして元気に生きています。日々感謝ばかりが溢れます。
先生のお誕生日のコンサートには、母を連れてまいります。「毎日ね、こう手を合わせてね、(いだきしんん)先生と皆さんのおかげでこうして元気に生きてます、ありがとうございますって言うとよ。」と母が言いました。内心おったまげました(笑)そして「なんと可愛い!」と思いました。可愛い心映えの母を嬉しく思いました。そういえば、この世の中で一番可愛いチャーミングなお方は、私にとって、高麗さんと先生です。失敬な言葉かもしれませんが・・・。先生と高麗さんにたくさんの愛をこの人生で経験させていただき心からありがとうございます。仕事で、生活で、人との関係で、その愛を活かして参ります。