魂
第一部 「魂の浄化」
魂は肉体が死ぬまで体内に宿っている存在であると云われています。
何々と云われているということは、あるかないかわからないということでもあります。
完全に否定もできないし、肯定もできないということでしょう。
現代社会は秩序立って物事がよく出来上がっているように見えますが、
魂についての曖昧性は様々な諸相にあてはまっています。
魂は体内に存在しているという前提で生きてみたら、魂の存在は否定できないでしょう。
魂は感じることも見ることもできません。そうでありながら、否定はできないということです。
魂は感じることも見ることもできませんが、
魂のありかたによって動作や形が見えるように出来上がっていきます。
造形美の要です。知性の中心です。
単にいくら学習しても、なかなか気にいったことがやれない、つくれない、ということの理由でもあります。
感じることも見ることもできない肉体の魂は外側からいつのまにか汚されています。
「魂の浄化」こそが急務です。
第二部 「魂あっての愛」
魂のない愛は理解できません。
基本的に魂は見ることも感じることもできません。よって言葉によって表すこともできません。
愛は魂の出会いではじまります。肉体は死んでも魂は存在します。愛は永遠であります。
肉体的な感覚で追い求め、とらえ、実践する愛は
言葉は愛という言葉は使っても、肉体的な有限の快楽にすぎません。
ほぼ間違いなく続かず終わります。
魂と魂が交流し愛に転換する時、その時はじめて、より一層の肉体的な感覚によってもわかります。
感覚が魂中心にあるのか、肉体中心にはたらいているのかの違いです。
単なる違いのことではありません。
魂が次々浄化され、愛はより一層豊かにはたらき、世界まではたらき動かします。
待ちに待った仙台電力ホールでの、いだきしん先生のコンサートは、メッセージもこれからを生きていく上で最も要のメッセージを表して頂き、心から感謝申し上げます。昨日、東京から仙台への道中、魂について考える事を先生から教えて頂きました。夜、魂について紙に書き出しました。「体はなくなっても、魂はあり続ける」と書いた時に、あり続ける魂を忘れたり、粗末にしたりはあってはならない事だと涙流れながら、深く魂を感じたのです。今日の先生のコンサートの第一部にて、先生と繋がる時、魂の在処がはっきりと分かりました。ここで生きれば良いとよく分かります。ここは大宇宙の中心でもあると体で分かりました。魂は安堵し、これ以上ない程安堵し安らぎました。魂を失ったり、忘れる様な現代社会では人間の人生は生きられない事も身に沁み感じました。今の様に戦争が続き、地震や災害、沢山の問題があり、人が生きる事もままならない社会状況は、魂が安堵する様な所は何処にもないと甚く身に沁み感じるのです。人間が魂安らぎ、魂忘れる事などなく生きていける社会を創っていく事が大切と身に沁み感じます。第二部では愛の演奏をお聴きし、世界へ伝播します様にと祈るばかりでした。今日は、出かける前テレビのニュースを見れば、明日でロシアがウクライナに侵攻して一年になりますので、その事ばかりが報道されていました。本当に戦争が一刻も早く終わってほしいと切実にいつも願っています。今日のコンサート後に先生から「どの様な終結になるのか」とのお話をお聞きした時、真剣に考えてみようという気になりました。今日のコンサートで愛は世界に伝播し、魂ある人間が生きる世界を変えていくのだという事を経験しました。メッセージの最後にも、世界を動かしていけるという表現がありました事が、とても勇気づけられました。コンサートでも、動かしていけるのだという事を感じたのです。先生の演奏をお聴きし、自分で自分を叩く様な、潰す様なものも、ほとほと疲れ、その様な生命に反する事はもうやっていられない、とギブアップしている様な状態が見えた事がとても嬉しい事でした。たとえ幻想であっても、自分を痛めつけるものが、自分の内からなくなったと考えるだけで、喜びました。私には先生の演奏を聴いた時に、生命生きる世界が拓かれ、自分を潰したり、殺す事なく生きていく状況が来たと感じられたのです。愛に満ちる世界です。生命が生きていける様に生きる時が来たと、大いなる希望を見出しました。アンコールでは、アリラン的な演奏に魂は震えるばかりです。いつも「国創り」という言葉が生まれます。自分の未来を描きました。魂忘れる様な世の中を変え、皆で健やかに、明るく元気で生きていける世界を創る事が私のやりたい事と改めて分かりました。メッセージのお言葉は、とても大切な内容ですので、何度も読み、よく理解していきたいと考えます。先生からも教えて頂きましたが、魂があれば、姿形もきれいになっていくとお聞きしました。今日のコンサートで経験した様に、大宇宙の中心にある魂を活かしていけば、美しく生きていけると感じます。魂取り戻し生きていく事が人間の人生と改めて分かり、昨日から魂について考え、涙し、今日のコンサートは、胸の奥深くが涙にあふれました。父が亡くなった時、倒れてしまい、真っ暗闇に落ちました。先生やご家族や、いだきの人達が私の名前を呼んでも、私には皆がいる光の世界に行く事は出来なかったのです。あまりに遠過ぎたのです。その時、先生が紙に「魂」という文字を書いて下さいました。それを見た時、私は一気に皆がいる光の世界に戻れたのです。魂がいつも生きる支えであり、要です。私は「高句麗伝説」の詩のファイルの一番最初のページに、先生が書いて下さった「魂」という書をいつも入れさせて戴いていました。やはり、魂が要です。取り戻す事が出来、本当に安堵します。心からありがとうございます。