魂前面に
京都での存在論、死について、ジェンダー、迎賓館コンサートをありがとうございました。また、高麗様におかれましては、お誕生おめでとうございます。
最近、オンラインでの講座視聴が多かったため、先生や高麗さんを始め他の受講生の皆様に直接お会いし、ともに時間を過ごせたことが嬉しく、感謝の気持ちで臨んだ講座でした。
1日目の「存在論」および「死について」では、行間を読むことを含め、見た目などの「現象」から本質に迫るアプローチのお話しに思わず唸りました。本質や高尚さの追求ばかりにとらわれ、表面的と思われることや見た目をないがしろにしたり、素直に認めようとしない自らの傾向を認めざるを得なかったからです。また、嫉妬心などの情動を含む魂は、精神とは異なるということがわかり、さらに、とくに全体主義に陥る可能性のある現在の時流においては、精神の陰でいじけている魂を前面に出して、命輝きながら生きることで、仮にパンデミックが流行したとしても、明るく乗り越え、未来をつくってゆきたいと感じました。その具体的な一歩として、4月に引っ越した埼玉県の秩父郡小鹿野町において、狭いながらにもお借りしている農地で、早速、免疫力アップのための無農薬ブロッコリーの栽培に挑戦しようと心に決めました。
2日目のジェンダーでは、縄文時代、古事記、奈良時代の万葉集のお話しを通じて、女性中心の社会における性や恋愛エネルギーのあり方が現代社会のそれとは大きく異なることや、その原因として、現在の合理性がそのようなエネルギーを失わせてしまっていることを認識しました。とくに、男性が中心では恋にならないこと、男性の価値は女性を悦ばせるだけであること、並びに女性を称賛える歌もしくはことばを通して、ありのままの気持ちを表すことで良い関係を築くことができること、などを受け入れることがだいじであると感じました。また、男女がお互いに要求もなく受容し合えている状態こそが、エネルギーに満ちた愛であることが、図で明らかにされたことも大きな収穫でした。
3日目の迎賓館コンサートでは、前半は、打てば響くという具体に、開始からピアノの音が体によく響きました。まず自己を超越した世界を経験しました。そして、大地を吹き抜ける風になったかと思うと、背中に感じた痛みが自然破壊による地球の痛みであると感じました。また、魂あっての肉体であると、肉体を通じた感覚にとらわれるあまりに魂をおろそかにしてきたこれまでの生き方を自覚しました。さらに、心臓に違和する覆いを感じ、他者の命が「わかる」という状態にないことや、頭で内面を否定する生き方により体が重くなることに気づかされました。それでも、このような時流においても、迎賓館という別次元で、ピアノの音とともに次々に進行する時間と世界に身を置くことができる瞬間瞬間に至福を感じました。そして、お腹の底から沸々とエネルギーが湧き上がり充満する感覚を初めて経験することで、物事を成し遂げるために必要な命の働きのあり方を自覚することができました。
なお、コンサートの無事開催のため、会場との往復を手際よく案内してくださったスタッフの方々に、この場をお借りして御礼を申し上げます。
ありがとうございます。