魂は輝く
第一部 「進入」
「進入禁止」の「進入」です。天から進入するという意味あいです。
神聖な存在が降りて来るという意味あいです。
「進入」という言葉は強引に感じられるかもしれませんが、内面が浄められ美しければ
「進入」どころか内面的に一致するいのちのちからです。一回邪気のようなもの、
邪気そのものといってもいいでしょうが、祓い浄めて内面をあらわします。
「進入」するいのちのちからです。
第二部 「終末」
「終末」と聞いてどのように連想されるでしょう。連想の内容によって、文化、宗教、哲学の影響によることがおわかりになるでしょう。
科学的な視点もあります。日本における終末観は多様です。古代の神道では生と死は循環し終わりは新たなはじまりを意味するとされていました。当然、仏教の影響もあります。
さて、全体的にはどうでしょう。
人は生まれつきのままではいずれいのちが途絶えてしまいます。
様々な宗教観、哲学などは「無」に帰します。
我々の40年間の道のりが答です。
コンサート前には幻のコグリョカフェにたくさんの方々にお越しいただき、ありがとうございます。今日は、「仙」コーヒーを淹れさせていただきました。京都高麗屋で淹れるコーヒーは格別に美味しいのです。水が良いと感じます。詩が生まれるコーヒーは淹れている時から美味しいコーヒーが入るとわかります。今日は、全て美味しいと感じました。初夏の香りがするウクライナカラーのスイーツもとてもコーヒーとマッチするとお喜びいただきました。皆で力を合わせはたらき、あっと言う間に幻のコグリョカフェは終わります。ご希望者の内面の光景を詩に書かせていただきました。コンサートの時にはその意味がよくわかる経験ができました。全ては、学びでした。「進入」というメッセージから演奏を聴かせていただき、おおいなるはたらきかけに進入されるなら、真に幸せであると感じます。進入どころか内面的に一致という表現をお聞きし、そうなれるなら最高に幸せと感じます。演奏をお聴きしていると私には生命の内に魂の存在が見え、感じました。魂はおおいなる存在とつながり、蘇ることができるのだとわかる経験をさせていただきました。気持ちも本音も要求も要望も、おおいなる存在とつながるので実現するのだとわかります。単に気持ちだけでは実現できないのです。幻のコグリョカフェにて、あるがままの気持ちを表しという詩を多く書きました。あるがままの気持ちを表せるのはおおいなる存在とつながっているから表せるのであって、自分だけの気持ちではあるがままあらわせることはないのだということに目が覚める気づきがありました。演奏をお聴きしていると、気持ち、本音、悲願は全て叶い、実現すると見え、感じるのです。生命躍動し、わくわくするばかりでこれからは本当に希望であると感じます。悲願も成就すると確かに見えるのです。先祖代々の魂の悲願は成就すると魂共に喜びました。
第2部は、「終末」とのメッセージを受け、終末について考えました。終わりははじまりと感じます。いだきで生きる人生は生きて生まれ変われます。私は、いつも講演会の時にお話させていただくのですが、人生は一度なのに、先生に出会い、生まれつきの運命が解放された人生は何度も生まれ変わったようだと。。。今日の演奏をお聴きし、魂はおおいなる存在とつながり、どんどん若くなるのです。そしてどんどん光輝くのです。先生に出会った魂は光輝いています。この世の人間が年々老いていくのとは反対と見えます。老いていくように生きることを最初は誰が生きたのかと考えました。頭の中に鏡のようなはたらきをするものがあるとお聞きしたように覚えていますが、頭の中にこの世で生きる生き方が写っているように感じました。生命は、年々豊かに輝いていくのに、今まで人間が生きてきた年々老いる生き方が頭に刻まれていると感じました。頭に写った今までの生き方を解放していただきました。今日のコンサートでは、年々若くなり、輝く魂を感じました。このように生きることが真の人間の生き方とわかります。
今日は、始まる前のロビーも、第2部の前も大変賑わしく、ざわついていました。2部の開演5分前のアナウンスの時には、いつもにないざわつきが治りませんでした。何故、人は、ざわつくように話すのだろうかと、ざわつきがおさまらないノイズを聞きながら考えました。先生のコンサートで、内面深くを感じる時に静けさなど、忘れたかのようなざわつきです。この世は、真とは真逆であるとこの時も感じました。先生のコンサートで経験する時間を超えた永遠の世界で生きる生と、この世で生きる生き方は、真逆とわかりました。誰の生命も、今までの延長では生きていけないことを生命の内を見るとそう見えます。今までの生き方は終わると見えます。先生のコンサートにて、気持ちを表すことはおおいなる存在とつながってこそあらわせるとわかった時に、コンサートの経験がなければ、わかることはなく人生を終えることに恐ろしさを感じると同時に、このようにわかる機会に恵まれている私は、真に幸せであると感謝と喜びがあふれます。終わらない生き方を経験できますコンサートは最高です。ありがとうございます。