KEIKO KOMA Webサロン

魂の涙


狛江での「高句麗伝説」を無事に開催でき、ありがとうございます。終わった瞬間、異次元から戻ってきた感覚でした。この世がどこなのかがわからなくて戸惑いました。それでも生きているからいい、と先生がおっしゃった言葉にうなずきます。私が生きていたこの世はどこなのか、本当に人間が生きる世界はどこなのかを考えれば、「高句麗伝説」であらわる世界が人間が生きる世界であり、魂が永遠に生きる世界です。

今日は、「大海に立つ」からはじまった音楽に見えるがまま、生まれるがままに詩を詠ませていただいた時、涙ばかりが込み上げました。海に沈んで行った同胞の魂が蘇ったと感じています。大海原で、夜の海に月の光が見え、たくさんの高句麗人と悲しみを共にした場面がリアルに蘇りました。夜の海の風までリアルに感じます。たくさんの魂の声も聞こえます。高句麗建国の王東明王様のところでも涙ばかりが込み上げました。東明王様に直接お会いできたのです。その感動と喜びは涙よりありません。母と生き別れることは身を貫く悲しみと感じました。高句麗人だけでなく、人間は愛する人と生き別れも死に別れも経験し生きてきました。闇に覆われた人間の歴史は悲しいです。が、やっと時が来たのです。たくさんの魂が報われ、咽び泣いています。生命の内は涙の河となっています。アンコールの「父」の詩を詠ませていただいた時も演奏が聴こえ、クラリネットの音が聴こえると、父がそこに居ました。心の中で「お父さん」と言い、涙込み上げました。幼い頃の夕暮れ時におんぶされた時のことは風景も夕日が沈む光景も吹く風まで覚えています。今日もそのまま感じ、亡き父に会え、うれしくて涙しました。そして地に埋もれていた高麗人の魂も蘇り、今日はやっと表に出れるようになった喜びと長い間の悲しみからの解放を祝い、涙のお祝いであったと感じています。やっと魂あらわれ、表し生きていける時が来たのです。魂の歓喜が涙となり現れていました。先生が演奏をすると、その音で胸動き、涙よりなくなります。生命に連なる無数の魂が報われていく涙と感じました。歴史は変わり、時代は変わり、世界は変わります。

今日は、スタッフに真面目に詩を詠むことに集中したいと話していました。気になることもあり、何度か皆で話し疎外について話した時、この状態は戦争は起こっていなくても、戦争を行なっている側からみたらやりやすい状態と見えるように気づきました。一人一人が自分なんかいなくてもとか、ご迷惑だからと勝手に作った理由をつけ、ひっこんでいけば、戦争を解決していく力が失せていきます。自分のことで精一杯となると、戦争のことも世の中のことも考えられなくなります。この状態は闇の勢力にやられていると見え、私も今度は一切ひっかかりたくないと強く感じました。戦時下にあると考えれば、いかに人を助けるかしか考えないでしょう。一人一人が本気で良い世界を作ろうと考え生きていけば平和を作っていける時と本気で感じたのです。これだけ戦争が続き、今尚、尊い生命が失われていく世界です。どこにいても本気で何とかしようと考え、実行していくことが必要と見えました。今日の「高句麗伝説」も無事に終わりほっとしている場合ではなくどんどん表現し続け、やり続けていこうと気持ちを新たにしています。やれる時が来てやれないことは完全に闇にひっかかっています。八月に入り、辛い時が続きました。闇にひっかかっていたということを抜け出した後ではよくわかりましたが、その時はどうにもならずに苦しみました。同じところから抜け出せない状態は過去に生きているともわかります。アントレプレヌールサロンにてのアマゾンに生きる人のお話は人間の原点であり生きる希望となりました。すべてはひとつと考えはじめると、答えは生まれます。ひと事では考えることもできないとよくわかりました。今日の「高句麗伝説」にてすべてはひとつであることを経験させていただき、涙ばかりが込み上げたのです。ここが生きる世界です。それも永遠に生きる世界です。

明日も先生のコンサートがありますことが希望であり救いです。即興演奏ですので、常に「今、今の瞬間瞬間」を表現してくださいます。表現され、新しい世界が創造されます。その時、今まであった世界で生命犠牲にする世界は自然と崩壊するのです。あたらしい世界を創造し続ける先には一気に世界が変わる時が来るでしょう。まもなくと見えます。本気で戦争が終わることが祈り、コンサートの一席に身を置かせていただきます。先生は毎日全身全霊の表現をしてくださいます。私も本気で良い世界を作るはたらきをしていきます。ありがとうございます。

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NPO高麗 迎賓館にて
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京都府立文化芸術会館ホールにて-2
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琵琶湖より