魂の本質
武蔵野のコンサートの間に様々なことが頭に巡り解決していきました。日頃の苦痛は、全て世俗に原因があると分かりました。魂の本質は愛であると心から感じられるコンサートで、体の痛みは世俗にまみれ愛することを歪めてしまっていたことが原因であることが分かりました。人間として正しいことは、魂の本質である愛から外れないで生きることで、ことことを邪魔するものは全て悪魔の仕業であると感じます。2部のパイプオルガンの演奏のあとのピアノの演奏で、自分の今やるべきことが、どんどんと示されてきて、これからは何にも囚われることなく、ひたすらに進むことが、愛の表現につながると思い、邁進します。休んでいる暇などなく、今やることに集中します。火事場の馬鹿力と表現しても今までは、馬鹿力などには全くなっていなかったことにも気づき、やらねばならないことをどんどんとやっていきます。ありがとうございます。