魂の旋律
三鷹コンサートの経験は忘れられません。何度も魂の悲しみを癒してくださったか、この度も魂の歴史を解放してくださったような経験をします。
一部では大きな袋につめられた色とりどりのアイシングした焼き菓子が見え、爆撃を受けて破壊されたレバノンに暮らしている子供たちにお菓子をあげたいと叫び涙しました。先生の生命かけての演奏に一音一音の響きが消えるまで集中しお聴きしました。一部の終わりには胸は開き生命ひとつに演奏は終了し、二部の準備をしているようでした。二部ではイエスキリストのこと、イエスの母マリアのこと、マグダラのマリアのこと、涙は同じでも流れる涙でどなたの存在かわかっていくようでした。魂の悲しみはいつ癒されるのかコンサートの空間では会えることの喜び、悲しみは受け入れられ愛に変わる瞬間瞬間は涙の存在に現れ、イエスは感受性の中に、魂の表れに存在に出会える、と言葉となり、魂表せばイエスに会えることへの希望に胸を馳せたのでした。胸にはあふれるほどの重なる楽譜がみえ先生はこの楽譜をもしや演奏してくださっていると感じもしたのでした。内面と内面のふれあいは世界と世界がふれあう言葉にしがたき経験です。先生は、魂ひとつの世界になるようはたらかれていると、言葉になったとき、厳かな気持ちと衝撃の混ざった胸の内になり、終演後も、とんでもないところに出会えてしまっている自分の、過去の悲しみと今と未来にこれから生きていくことの意味は、新しい世界を創ることだ、と言葉になり、これからが希望に満ちます。闇の世界に牛耳られ動かされている人間に、正気になって人間としての在り方を取り戻してほしいと世界の人たちに祈りを届けました。今もコンサートの経験の衝撃は、今も続いています。ありがとうございます。