魂の希望
月日は過ぎてゆく
秋が過ぎ 冬が来てまた来る春を知っている。今生きているからこそ。永遠の生命 魂の要
焦ったり待てない癖があります。今年ももう三か月と考えると自分にできることは何かという今までもあった堂々巡りの頭になります。けれども同じ毎日、同じ雲も空も海の光もない自然のただなかに今日も生きています。多賀城コンサートから帰ってから、どういうわけか年配の女性が向こうからよってきます。一人二人ではありません。どういうことかと考えていましたが私の中に生命の希望を見ているからかもしれないと気づいた朝です。ありがとうございます。