魂の喜び
東北センターは今日も高句麗の地の温もりが溢れています。
生き方と同じく言葉も先のない在り方に気付き始めました。いだきしん先生もおられる空間で働きかけに満ちてビデオ講演会の美しい言葉をお聞きしながら、力は抜けて光に包まれ変容し時間のない空間を過ごしました。言葉はいのちに溶け込み、記憶として留める対象ではなくなりました。
当たり前のように思っている気持ちでも表現しなかったり大事に留めているうちにいのちや筋肉を固めているのでした。言葉によって解れ、言葉は変わります。
丸都山城のお話をお聞きしていると、まるでその時を共にしている空気が広がっていました。高句麗の祭りの音楽をお聞きしたときも体感しました。楽しい活気にひとも神さまも皆集まってきてしまう賑わいを感じます。五女山ばかりでなく丸都山城にも行けたらいいとのお話に夢を抱きます。
言葉を書くことについて日々お聞きし、書いているとその言葉への違和感が生まれ、言葉でもとまで行きつけば変わり、そうでなければ変わらないと仰ったことに納得致しました。少しも力まずやさしい存在のもとに通じる言葉で紐解かれ源に触れれば、あれもこれも違ったと苦笑しています。今までの人間の生き方は全く違うものでした。
説明すれば台無しになってしまう楽しい賑やかな空間に、まるで対象化されていないそのままの豊かな暮らしと世界へ通じる精神と出会いました。山の歩き方を教えて下さっていたのは好太王様であったということにも改めてお聞きすると魂震えます。颯爽と登る高麗さんの後をついてみんなが転がるように登っていく楽しい未来の姿が目に浮かびます。
言葉が美しいといのちも空間も美しく人や地球の未来は明るいと実感できます。
今年はなんという一日一日なのか、恵みに首を垂れるばかりです。
大きな気付きを有難うございます。