魂のエッセンス
京都にて、コンサート開催をいただき、魂の喜びを感じております。
数日前より、日常の一挙手一投足に「コンサートに向かう一歩」と言葉をつけることで、虚しくうずくまりたくなる心を先に向け、ようやく生きることができておりました。
コンサート前日、旅立ちの日は、朝から皮膚が炎症を起こし、全身ヒリヒリと痛み、口から出る言葉は「怖い。行きたくない。」でした。けれど生命はためらいなく仕事に向かい、働き、夜行バスに乗り込むまで身体を運んでくれました。
輝く朝日に迎えられ、京都駅にたどり着きました。
高麗ギャラリーカフェにては、愛らしい高麗水に涼やかに注ぎ入れていただいた五女山コーヒーのカフェラテと添えられたクッキー、イチジクタルトにて、全身救われました。
食後に2階のギャラリーにて拝見した、先生の器の輝き、高麗さん作の高麗水とスワロフスキービーズが散りばめられたペンダントの輝きに、心がなぐさめられました。目からその輝きは心に染み込みました。
ロームシアターまで歩きながら、雨か降り始め、徐々に雷が近づき、ロームシアター近くにて本降りとなり、雨宿りいたしました。
山の向こうに太く一瞬の稲妻が走ったと、とたん、空間を裂き破るような雷鳴に、頭がスキッとなり、まるで先生の太鼓の音と感じました。
コンサートまでの時間は、図書館にて『失われた時を求めて』最終巻を読みました。
3時をまわった頃、急に内面の感覚に変化があり、不快になり、そのまま感じていると、みぞおちあたりが細かく緊張と弛緩を繰り返す波が起こり、その波が胃から徐々に身体の上部に上がり、口から出ていきました。
その緊張と弛緩の細かな波は子宮のあたりで揺れ続け、やがてそれにふっと、母の寂しい気持ちが言葉になって重なり、声を出さずに涙と胸の嗚咽となり、どんどん口から目から流れてゆきました。
コンサートにては、第一部、先生のお姿を拝見したらもう、心が悲しくて泣き始め、第一部の間ずっと泣いておりました。私の生命は、世界中の悲しみを共に感じて泣いていると気づきました。解決しないまま、身体にどんどん溜まっていると分かりました。それを先生に受け入れていただき、コンサートにて表していただいたから気づき、開放に向かったと分かります。
第二部は、頭が眠気で澱み、先生の一音に集中することが難しくなりました。数日前から今に向かい生きてきたことを想起し、ハッと我に返り、一音と共にあることを意識いたしました。
9.11の年の8月、私はニューヨークに 行きました。道路ではたくさんの人が生きていたこと、9.11のニュース映像を見ながら思い出し、胸が張り裂けました。
今回のコンサートにて、私が世界中の悲しみを共に感じていること、それが身体に溜まっていることが分かりました。高麗さん、先生から、泣いているばかりでは何の解決にもならないこと、分かる人間は解決に向かうことを教えていただいております。
解決に向かう意識持ちます。
ありがとうございます。
高橋 由珠