KEIKO KOMA Webサロン

魂の


「魂の表現」と伺い、瞬間、私には書けない、と思って閉ざしてしまい、当初は表現しようともしませんでした。ところが仲間の表現をお聴きしていくうち、胸の内がうずき、声が聴こえたり言葉が生まれてくるのです。魂の表現をいざこころみると、歴史的なことから弱点となっているものが浮き彫りになりました。色々な言葉を書き出してみて、意識的ではないか、つくった言葉ではないか…、そんなことを気にしてどう表現していかわからなくなってしまいました。昨日、北朝鮮拉致被害者の方の写真展が日本橋の百貨店で開催されていて、偶然のめぐりで足を運びました。ご関係者の方々の話を聞くと、あまりに心を失っている政治家のことを伺い、選挙の道具にするということも自分も目の当たりにしてきて、悲しみと同時にやり場のない憤り、こみ上げる怒りがありました。被害者の親御さんはご高齢となり、おふたりよりご存命の方がおられません。現実を憂い、心を寄せて来場されている方々がとても多く、最後に政府を動かすためにとメッセージを寄せて帰る方も殆どでした。そのような光景を見、経験していくうち、表現が生まれてきたのです。先祖の代表、社会の代表としても「いだき」に出会わせていただいた私には、やることがあるのだと。

サロンでは魂の表現を、高麗さんみんなの前で読ませていただいて、はじめて表現出来た言葉があります。深奥にある気持ち…「愛しい」「愛しき」「愛する」。このことは、それまでジェンダーに関連する男女のことでの意識が足かせとなってなかなか表現ができなかったのです。世俗で男女の関係を表わす表現に、存在を隠すという男女の関係のことが浮かんでいました。さらにマスコミの仕事をしていて、「愛」という言葉には大変慎重となり、親子の愛までが精一杯で、「愛」という言葉の前にクッションを置くようなことをしたり、そのまま表せないということがありました。そのままに表現できたのは、生まれてはじめてのことです。コンサートをご経験された高麗さんのお話からは、そのことが解決すべく表現されたことを伺いました。

9日の三鷹のコンサートでは、いのちの悲しみ、涙となりました。長崎、広島と2か所に原爆が落とされたとんでもないことで、原爆投下で“愛を潰された”との表現を後ほど伺いまして、言葉を失ったのだとわかってまいりました。高麗さんが先生のコンサートのことでのご経験を話されていましたが、先生のコンサートで表現されたこと、そして具体的に愛を実現していくこと…と これから仕事で実現していきたく心にしました。

仕事で日々、新聞を読んでいますが、今日も新聞を読んでいた時のことでした。経済紙を読むうち「不景気」「減益」「物価高」これらの言葉、発する言葉、それがそのまま入ってきていて、特にマイナスな言葉に引っかかり、思考停止したり振り回されていたのだということをわかりました。そして、魂の表現をした後は、とらわれず、ひっかからない状態をはじめて自覚できました。創る先の未来が中心であると生命はわかっていて、未来より考えません。主体性なきでは引っかかり、振り回され、本音、言葉をもっていればぶれずに生きていける事はじめてわかりました。強くなる、という意味もわかってまいります。

先月後半、新型コロナウイルスに罹患し、最近まで後遺症がひどく、夕方までにもう横にならないといけないほどの体調となり、免疫がおちていている状態でした。それが今、手足の先に体温が戻り、抵抗力がついてどんどん元気になってきています。ことばはいのち。魂をとりもどす、ということの意味がわかりはじめています。

新たなはじまりを迎えることができ、本当にありがとうございます。今月の行商へむかわせていただきます。本日の応用コース、伺わせて戴きます。

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迎賓館コンサート
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京都コンサートホール 大ホールにて
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