高麗笛の音 魂のあらわれ
台風の影響がある中、全国から狛江の地にお集まりくださいまして、誠にありがとうございます。終戦記念日とされた8月15日に「高句麗伝説」を開催させていただきましたことを深く感謝申し上げます。
正午に、台風の影響ある生暖かい風に吹かれ、黙祷を捧げました。初めて高句麗の地にて戦死し、その地に眠る叔父の魂に出会いました。一陣の風が吹きました。多くの日本人が戦地にて生命絶え、日本の地に帰ることなく地に眠っていることを今年この日ほど、我が身のこととし感じたことはありません。世界中の戦死者のあまりに多いことに、人間の歴史は、悪魔に動かされた歴史であると甚く感じます。叔父は、高句麗の地に戻ったのかとふと感じる瞬間がありました。飛び抜けて良い人であったと想像できます。それは遺児である従兄弟達は、桁違いに良い人であるからです。父母の葬儀の時に、訳のわからない親族が私のことを理解できずに、私の悪口が盛んであった時、あまりに偏った見方よりできない親族に対して私が可哀想すぎると、誰も敵にしない物の言い方でたしなめてくれたのでした。この従兄弟達がいたので、私はその場に居ることができたのでした。今日は、今まで感じたこともないたくさんの魂に支えられ、先生に出会わせていただき、生きてこれたことをしみじみと感じ、全てにご恩返しをしたい気持ちで狛江に向かいました。先生にも高麗の地まで御身を運んでいただけますことがありがたく、先祖を代表し、御礼を申し上げなければいけない気持ちでした。全国からお越しくださる方々にもよくお越しくださいましたと心からの御礼の気持ちで一杯です。
笙の音からはじまり、笙の音で終わった狛江「高句麗伝説」は、はるか彼方の世界からはじまり、はるか彼方の世界で生きる人生のはじまりとなりました。新しい世界の中心が身につきました。太鼓と高麗笛の音が鳴る時、自分の意識が介在する間もなく、全てと一体となり、生まれる詩を詠ませていただきました。「生きている」瞬間瞬間です。人間としどう生きていくのかの答えを求め続け生きてきました。「今、ここ」が「生きている」瞬間瞬間です。生命が最も躍動し、未来への希望に胸がひらきます。今も尚、太鼓と高麗笛の音、同時に流れていた音のリズムが体の内に鳴っています。哀しみ、愛が生命の内にあり、涙滲みます。
ここで表現させていただき恐縮でございます。この度、先生が笙を吹かれるということで調律を古典調律にされた笙があるとお聞きしています。久しぶりに笙が登場しました。笙との出会いを思い出さずにはおられません。今朝は夢の中ではっきりと笙を制作された御方が私の枕元に現れました。この度の修理の件でその御方がお亡くなりになったことを知り、大変な衝撃を受け、一夜眠れぬ程に悲しみ、やりきれない思いに苦しみました。翌日、先生と別件でお電話でお話しする機会があった時、あまりに辛かったので、一言お亡くなりになっていたことをお話しさせていただきました。先生もご存知でありました。たった一言で、その御方の気性、生き様を表してくださり、胸のつかえ、苦しみが溶けました。一言と申しても、単語にはならないある音によるお言葉です。その音に全てを受容され、その御方の魂と共にあることがわかり、報われたということが生命でわかりました。一筋の涙が流れると同時に、その御方の魂は飛翔したことが見え、わかりました。
その御方とは魂の出会いであったと感じています。先生がしの笛を吹いておられた時、私は高麗笛を探しました。ネットで検索をすると、魂惹かれる会社があり、ホームページをひらきました。突然、心に飛び込んできた文章を吸い寄せられるように一気に読んでいました。読み終わると同時に電話をしていました。「古の都の路地裏を歩いていると、ふと懐かしい香りに胸動き、香りを辿れば、笙の音が聞こえ、この音色を絶やしてはならぬと感じ、子孫に残していける笙を作ると決めた」と綴られていました。営業の仕事をしていた方がいきなり雅楽を学び、笙を作り始めたのです。京都の路地裏での経験であったとのことです。高麗笛と検索し、笙を作る会社へとたどり着いたのですが、私は高麗笛だけを購入しました。電話での私の声が普通の人ではないとすぐに感じてくださり大阪で開催する講演会をお誘いした時には、この声を聞いて断ることはできないと笑いながらおっしゃり、講演会に行くがらではないけれどと照れながらお越しくださいました。その場所で笙をお持ちになられ、生まれてはじめて笙の音色を間近で聞きました。雅楽は高麗譜があり、高句麗壁画にも笙や笛を吹く人が描かれていますように、高句麗伝来とは当然わかっておられました。今となっては貴重な煤竹で作られた笙の持ち主は私よりいないとおっしゃり私の元においてほしいとおっしゃるのですが、当時の私は勝手に創り、持ち主は私だと決めつけられても困ると言っていたのです。今になれば持ち主がいることもわかるのですが注文してもいないのに作られて買わなければならない巡りに首を傾げてしまう自分でもありました。それでも魂のはたらきがわかり、買わせていただきました。それは私の元にとの表現でしたが、魂は先生につながりたいと求めていると見えたからです。誰だって先生につながれば本望です。先生に手にもっていただき、息を吹き込んでいただければ悲願が叶います。古の時からあり続け、今も尚子孫に受け継がれるようにと願う魂のはたらきがあってこそ、私達は今日、先生の笙の演奏を聴くことが叶いました。高句麗の地で初めて笙を作り、吹いた人の魂も報われ、飛翔している様が見えます。全ての魂が喜び、報われる瞬間を共にさせていただき、ただただありがたい気持ちばかりが込み上げてきます。
リハーサルの時の笙と高麗笛の演奏には涙込み上げました。高麗笛の音は大宇宙に共振し、宇宙までも届く音となり、今ある空間をぶち破り、新たなる空間を創造しています。高麗笛であってそうでないある何かに魂震え、武者震いが起こります。ただ事ならぬ笛の音から人間の魂の真を経験しました。この音を忘れたら人間ではなくなるとわかる生涯忘れ得ぬ音が今も尚、生命の内に鳴り響き、魂揺さぶられ、自然と涙滲みます。本物の高麗笛は高麗の魂宿る笛とわかります。魂ない物は、見た目も香りも違います。魂の真の香りは先生の息が吹き込まれ、永遠に輝く存在となり無限な世界に飛翔します。魂は昇華し、永遠に咲く華となると見えた時、全ての魂が報われたと感じたのです。
高麗笛と笙を作られた御方と最後にお話しした時のことはずっと心に残っています。最後とは思いませんでしたが、その後に自決されたと知った時、あの時が最後だったとうなづいてしまう会話であったのです。とてつもなく悲しく、やりきれなく、電話を切った後、何度ももう一度かけようかとしたのでした。コンサートをお誘いする為にお電話をさせていただいた時でした。会社の方は、私のことを親分と思っているとおっしゃっていたほどに、私には律儀であり筋を通そうとしていたことは感じていました。そのことを受け止めると、あの時の会話がよくわかるのです。そして先生がおっしゃった言葉にならない音の意味がわかるのです。筋を通そうとした故のこととわかります。あの時も最後は単語ではなく、音だったのです。私は、縁が切れる悲しみを感じていたのですが、電話を切った後、縁が切れる訳ではないと、はっと気づく瞬間があったのです。今日という日を迎え、縁が切れた訳ではなかったことを経験させていただき、先生の存在、お働きにより、魂は昇華され、子孫に残していける笙と高麗笛の真の音が現れたことを共に喜んでおられることを感じていけますことに感謝します。魂のあらわれを生命をもって経験させていただきました今日の狛江での「高句麗伝説」です。魂の歴史は表に現れることだけでは到底理解できず、奥深く、神聖なる時を生きています。頭を垂れ、学び直し、生き直しができますことに深く感謝します。
終戦記念日とされた日であり黙祷を捧げる時に聞こえる深い音から魂の存在を感じ向かった狛江です。全てを受け容れ、表現してくださり、魂は昇華していく美しい香りが漂う時、胸の内ははち切れんばかりに悲しみ、愛が交わり、感動に震えます。
先日のアントレプレヌールサロンの時に先生がお話しされた私が持っている高麗笛を久しぶりに出しました。高麗笛の姿を見た瞬間、涙がほとばしり、あふれました。「お父さん」と声を出していたのです。この高麗笛を私の手元に置かせていただいたのは、父の存在を感じる笛だったからです。笛を置いている棚の上には亡き父の大きな写真を飾っています。私には父を感じてならないのです。父が亡くなり、父を感じる物を手元に置くようにしていた当時を思い出しました。笛が入る箱には私の戸籍の文字で高麗笛と書かれてありました。本当の高麗笛だと感謝します。笛は飾る物ではなく、先生に吹いていただいてこそ存在があらわれます。明日は、すでに今日となりましたが、狛江の会場にお持ちし、先生に吹いていただければありがたいと感じます。
魂に導かれ、出会い、魂の歴史を刻む歴史の大ロマンを生きる人生の豊かさ、深さが身にしみありがたく、涙こみ上げる「高句麗伝説」をありがとうございます。