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高麗恵子さんとの出会い①


今でも忘れられない光景があります。音楽仲間のアジト化していた六畳一間の部屋にて。「オレ凄い人に会ったんだ。音大も行ってないのに凄いピアノ弾く先生。その人をプロデュースしてる、きれーーーいな女の人がいるから会ったらいいよ」
話がはじまった瞬間、私は顔を上げ其の場に差した光を見ました。心の中に差し込んだ、生まれて初めての未来からの光を肉眼で見たのです。
「なにやってるの?」
「人間のことを探求した先生が三鷹のアパートで講座をしてる。人間は幼児期や胎児期からいろんなものがいっぱい詰まっていてそれをピアノでポンポン取ってくれる。あなたも楽になるから行ったほうがいい」
乱暴で不正確な説明も今でもよく覚えている。ちらしもなければスマートフォンの予感すらない。もう深夜11時を過ぎており失礼なので明日電話すると告げると、ちょうど今頃仕事が終わっているので今電話したほうがよいと、躊躇う私に何度も言う。37、8年前この時間帯、東京小金井は寝静まっていました。こんな夜中まで仕事してる女の人ってどんな方だろう。。。

「はい、高麗です。」

天から降ってきた様な、とても人間の声とは思えぬ可憐な声に驚き、駆け出したいほどうれしかった。私の真の人生が開く瞬間です。
中学の修学旅行帰路、名古屋へ向かう新幹線にて、私は東京へ2度と来ないからこの風景を目に焼き付けておこうと新橋から品川あたりずっと車窓から眺めていたのです。ところがこの出来事の5年前、突然「東京へ行かなければいけない」と心の中に呼び声がこだまし、その後親の反対を押し切り上京していたのです。私は東京へ行けば、自分の素質を活かし、人のためにもなり、生涯続けられることに出会えると信じていました。上京する口実が音大入学よりなく、プロミュージシャンを目指し、イカれたロックや気取ったオペラ、自活するため銀座で弾き語りなどしながら色んな大人達に会いました。バブル時代で狂ったような世の中、これかと思いきや3日後には幻滅する。心傷つく事を繰り返しており、あきらめきってしまう寸前でした。

「斎藤さん、のことはよくわからないけど、私はこの高麗さんという方にお会いしたい!」

無能な自分に天から与えられた唯一の授かり物は方向感覚、との自覚とは裏腹に「恵子さんだからお父さんが“恵荘”と付けたんだ」(私の記憶では第六恵荘)と伝えられた其の場所に、何度電話しても辿り着けない。最後の公衆電話で半べそをかく私に「わからないですか?」とずっと前からの知り合いの様にやさしく語りかけてくださった御声は愛に溢れていました。魂の故郷を求め、真の世界平和実現への道を探す、迷える◯は真を嗅ぎ分ける才能に目覚めた。うるさいスピッツの存在をまだ知るよしもなかったのです。

 

 

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