高句麗伝説
神殿の奥の院で厳かに行われたような迎賓館での高句麗伝説から始まり、水と光美しく、どこまでも澄み、そして深淵な琵琶湖の高句麗伝説。そして歴史の重みを感じながらも、遥かな天より大地に光注がれ、埋もれた魂の覚醒を喚起し続けてくださっている事わかる奈良の高句麗伝説。3日連続の高句麗伝説コンサートにより大きく開かれた世界を中心に生きるこれからです。
琵琶湖での経験はただ美しく、そして未知の世界との遭遇に息を飲む場面の連続でした。続く奈良では正直言うとどこか重く、表現される高麗さんの声も何か覆いが被ってるようで、表現させない何かがあるように感じました。
コンサート前にある場所に行った時に感じた事。それは小高い山にある巨石。その上に立って空を見上げると、天からは眩い光注がれている。しかし大地はその光を無視するかのような有り様であることに気づき、まるで今生きる人間の状態を現わしているかのように感じたのです。聖なるものは聖なるままに現されない限り、人間は人間になることはない。奈良高句麗伝説では、先生と高麗さんにより常にこの聖なる表現を、覆いを取り払うようにしてなされ続けていることを改めて感じました。コンサートが進み、終盤になり、表現される音も声も澄んでいき、よりよく聴こえてきたのでした。歴史ある場が変わるという事はそう簡単な事ではない。人のこと、歴史そのものを自分の身に受け表現することで変えていくということを高句麗伝説でなされている凄さを改めて感じたのです。その場にいることで、自分自身も同じプロセスにあること。この事をより自覚できたこの度の高句麗伝説です。
今のこの状況下、高句麗伝説コンサートが開催されること自体奇跡であり、貴重な経験であること。無事開催されたことで新しい動きが始まること。そういう内面が培われていっていること。改めてわかることの多い、この度の高句麗伝説コンサートでした。まことにありがとうございます。