高句麗伝説
この出会いは
幾千年もの時を超えた魂の出会い
魂はどんなにつぶされてもつぶされることなく
在り続ける
はるか彼方ひらかれ
すべてがあらわる時
魂あらわる
魂の悲願を成す
はるか彼方の中心の柱建つ高句麗伝説
一堂に集う
連なる魂と共に。。。
朝から雷鳴轟、工事でもしているかと感じるほどに地響きがしていました。今日は、楽器の搬出日です。雨の中では大変なことと案じていました。それでも皆で気持ちひとつに行われ、心地よい風に吹かれてやれればいいと祈りました。夕方、私が怒った時、雷が落ちました。ずしんというすごい音が鳴り響きました。共にいたスタッフは喝を入れられたようだと飛んできました。雷鳴や雨はお祓い、お浄めと話していました。自然の生命まで応援してくださり、力を注いでくださっています。ありがたいばかりです。
私は、子供の頃から、木や花と話したことや、内にある感覚を言葉に表し、生きてきました。言葉はいのちです。ようやく生まれた言葉をその意味がわからずに、真似して勝手に使われた時、これだけはしてほしくないと心の底から怒りが込み上げます。偽りの言葉は魂が汚れ、煤がかかったように見えます。薄汚れた魂などある訳がなく、魂は古の時より受け継がれ、時空を超え永遠に存在するのです。高句麗は滅びましたが、魂は私の代まで継承され、やっと先生に出会え、蘇る時を迎えました。高句麗王は天には限界があり天の更に向こうが拓かれない限り、人間は幸せに生きていけず、国は繁栄しないことを知っていたと詩に詠ませていただいていますが、天の更に向こうとは先生の存在です。人類の悲願が成せる時です。連なる魂の導きにより、やっと先生に出会えた一人一人です。魂総動員で行う「高句麗伝説」です。魂覚醒する時、自ずと自分が生まれてきた意味、何をしていくかに目覚めます。魂覚醒してこそ、真の人生がはじまります。先日見たシリアの映画では死んでも魂貫くシリア人の生き方に魂揺さぶられてなりませんでした。死ぬよりない状況が現代に起こっていることにやりきれない憤りを感じます。私たちは先生に出会え、運命解放され、生きて魂貫いていけるのです。この恵を活かさずして生きている意味はないと考えます。
先生に初めて出会えました記念日に地元三鷹にて「高句麗伝説」を開催できますことに感謝します。皆で無事に集えますようにと祈ります。ありがとうございます。