高句麗伝説を前に
何代さかのぼるかわからないのですが、いまここに生きる私に通じるご先祖様の中にもしかしたら本当はとてもとても、地域を良くしたいと考えていた人たちがいたのではないかと感じることがあります。学校で習った歴史の順番、、、縄文、弥生、古墳、飛鳥、奈良、平安、鎌倉、南北朝、室町、戦国、安土桃山、江戸、明治、大正、昭和、、、エチオピアから人類が発祥したよりはどれも後のことかと思いますが、このどの時代にも、今ここに体があり生きる私たちそれぞれに通ずるご先祖様がいらっしゃいます。当然わたしにも通ずるご先祖様達がいらっしゃいます。イエス様を処刑させてしまったことに通ずると考えられる、いだきしん先生のあらわれない時では、どうしようもないことのひとつひとつを背負いながら、地域が侵蝕されていくのを泣く泣く受け入れていったご先祖様がいらしたように感じられてならないことがあります。
お隣弘前市に比べると私の住む港町は今年も豪雪で、この降っても降っても全く容赦なくまた降る雪を空を見上げてただ見つめると、寒い寒い報われない時を思い出します。それは今回を生きる私個人のことではなくて、ご先祖様の感じたこととして思い出されるように感じます。昭和、大正、明治、江戸、くらいまでは、多少の写真や残っているものからいくらか想像できるとして、安土桃山、戦国、室町、南北朝、鎌倉くらいまでくるとどうなのか。よくお話でお聞きするアテルイの時代は鎌倉の初期。うちの、とくに今ここに生きる、いだきしん先生と出会った私に通ずるご先祖様はどうしていらっしゃったんだろう。苗字があるのはいつから?
いだきしん先生のいらっしゃる時代、新宿まで。新しい生命を持つ人間の一人として、畏れ多くも馳せ参じます。いくつもの無念を背に、超えていける新しい奇跡の時代へ集えますこと、ありがとうございます。