高句麗伝説に向かい
昨日の応用コースにてお聞きしました先生のお話は、ひとつのお話をとっても、気づきが多く、今日のビデオ講演会では、話すうちにまた気づきが起こり、人類史を学んでいるような一日でした。力が抜け、大きく変わったことを自覚しつつも、自分では捉えきれない変化のただ中にあることを感じています。4月30日のコンサートを経験し、元号が変わった日に仙台高麗屋をオープンさせていただき、疲労困憊となり帰京し、アントレプレナーコースがあり、2日目に受講生の運命を調べているうちに死にたくなる程苦しみ。。。認識出来ないほどの変化を経験しています。確実にわかっていることは思い、我と表現するものが抜けていったのです。世界全般に渡り、思いや我で生きることはできなくなったことです。人間の時代が訪れました。先生がおっしゃった先生の時代が訪れたと感じています。我がなくなると、反省したり、情けなくなり落ち込むことはないと気づきます。昨日から、自分の能力を考え、受け止めるようになりました。事実からスタートです。能力を嘆く間があったら、よりできるように工夫することが人間であると気づきます。大きな何かに向かっている緊張、畏れを感じています。大きな何かは5月13日狛江、14日三鷹公会堂での「高句麗伝説」と気づきます。高句麗伝説の前夜から当日は自分であって自分でないような、なんとも表現しがたい状態となります。このような時はジタバタせずに、本番を待つように過ごします。今日はそのような状態となっています。始まっていることに緊張しています。狛江での「高句麗伝説」は先生も狛江はこわいとおっしゃいますが、何が起こるかわかりません。狛江もこわいですが、この度は、更に翌日の三鷹公会堂での「高句麗伝説」もとてもこわいのです。それこそ何が起こるのかが未知なのです。三鷹の中心地であり、いだきを始めた場所のエリアであります。世界各地で高句麗伝説を開催させていただきましたが、なんと三鷹はこの度が初めてなのです。このことを受け止めるだけで身が震えるのです。それも父の土地でありましたので、高麗人が代々生きてきた地であります。以前に、三鷹の風のホールでのコンサートにて土地の記憶という内容のメッセージを表現下さいました。コンサート後に高句麗を建国した東明王の子孫が創った町ではないか、と三鷹のことを先生が表現してくださった時には夢を見ているのかあの世かこの世かわからない程、自分がどこに居るのかもわからなくなる程、驚き、不思議な感覚であったことを思い出します。そんなことを思い出しながら、すでにはじまっていると感じています「高句麗伝説」に向かっています。自分が詩を詠ませていただくのですが、その場に無事に容れるようにと祈り、ひたすら備える今です。ありがとうございます。