高句麗へと辿る道のり
昨日の狛江高句麗伝説を経験させていただいて、今朝は早くからすっきりと目覚めました。
戦争を繰り返し、たくさんの命が亡くなり、今また戦争の危機にあることを、8月15日を迎え、ガダルカナル島のことやシベリアのことなど、今また改めて知る機会が多い今年の8月です。
悲しみが、飛翔するとき、愛へと次元が変わり、中心に存在するまことの内面を、一瞬のなかに観ました。
神あらわるとき、人は眠り、だけど眠れるものではない次元が顕れ、すべてひとつになれるように、今日も狛江の高句麗伝説に向かわせていただきます。
いつからか雅楽に宇宙を感じ、雅楽で表現が生まれたらいいなと、いっときは雅楽を演奏している人のCDや情報を懸命に探していた頃がありました。今もある気持ちですが、雅楽に古から宇宙へとつながる歴史的な何かを感じているのは、高句麗へと辿る歴史のロマンだったのですね、と自分の内面にさらに出会います。