骨
配信もお聞きできずにただ高麗さんはじめ、皆さんの書き込みを読ませていただき、骨のことをお聞きし、今日は歩くのにも階段を降りるときも骨を意識していました。先生のお話はただ知識だけではない、空間を変えて行かれます。そこにいて先生と交流した方はもちろん、参加していない者までもはっきりと違いを感じます。私は坂道や階段を降りるときには、人の何倍も時間と気力が必要です。先生の働きで明らかに助けていただいた、脳幹の橋という場所の出血。その後遺症というだけでなく、右大腿部には転倒して骨折して人工骨頭が入っていますし、唯一何もないと思っていた左足も、右脚をかばっての事か、以前、無謀な動きをしてしまった結果が表れたのか、膝が急に傷んで歩けなくなったこともあります。まだ正座をすることはできません。従って歩くのは誰よりも遅く、階段では一昨日は尻もち転倒してしまい通りがかりの男の人に起こしてもらいました。コンサートの帰りに人にぶつけられて左手首を骨折してギブスを一か月していたのはつい2か月前の事です。それでいて人間の体の回復力はすごいことと感心していました。
自分の体と毎日向き合って、その日その日で違う状態に靴を工夫したりしていましたが靴のせいではありませんでした。
今日は骨の可動域ということを意識して歩くと、階段を降りることも、坂道を上ることもいつになくスムーズでした。先生の働きはどれだけの事かと驚いています。施設介護で重い配膳車を引いていくのも、坂道を登って認定調査に行くのも、がたがた道を体を傾けて歩くのも、ヘルパーで重い荷物をもって買い物に行ったり、トイレ掃除や急な階段を上って洗濯物を干しに行ったり、みんな普通の体であればなんということはないでしょうが、私にとってはできなくなったことの修練、鍛錬でした。本当にありがたいばかりです。
乗り越えるべきことがあって、昨日は意識がくるくると変化しました。自分を責めてみたり、どうすべきかを思いめぐらせたり、思わずいい加減にしろと怒りがこみ上げたり。(怒っているときのほうが体は動きますが。)いだきのことを説明しようとしていたことに気づいて、それではいつまでたっても分かり合うことはできないと、やめました。沢山の助けで今生きていることに感謝します。最近は沢山の阻むものがありすべては思い通りにはなりませんでしたが、働きかけのままに、何があっても向かっていくと決めました。連続のコンサートや講座、そして高句麗伝説にいかにして参加するかを一から考えます。
今日も海を一瞬に輝かせて沈む太陽の神々しい光を見れたこと、美しい自然のある環境に住んでいること、そして全てをありがとうございます。