風の声
講演会会場にて、ふとある気配を感じ、目を向けると、湖畔に立つ一本の木がある風景でした。言い様もない懐かしさを感じ、琵琶湖の湖畔にて講演会をさせていただける巡りがうれしく、何かがはじまる予感に胸が高鳴ります。人類最古の人骨と言われる、いだきしん先生が特別許可を受け撮影してくださった人骨のお写真を展示させていただいていますが、450万年前の人骨と言われています。琵琶湖はこの頃より存在する湖と知った時、遙か彼方の世界では合点がいく感覚が生まれ、この地に導かれたことは神秘的な計らいによると感じ、涙がこみ上げてくるのです。太古の湖の畔にて、先生に出会え、本音で生きてきた人生を語らせて頂くとき、世界に通じていることを生命で感じることが出来るのです。日本にいながら世界に通じるはたらきができますことがありがたく、感謝の気持ち一杯で講演会をさせていただきました。いだき講座をお申し込みいただき、更にうれしい琵琶湖での講演会でした。
会場を出た時、湖の畔の道でしたので、湖畔の光景が胸に飛び込みました。車を運転していたので、すぐに止まれずに、行くよりなかったのですが、胸の内に飛び込んできた光景が気にかかり、しばらく運転した後、再び琵琶湖の湖畔に戻り、車を止め、湖の畔まで歩きました。夜の闇の中で湖の畔まで歩く道は何も見えずに、おそるおそる歩きましたが、体がどんどん向かっていくのです。湖畔に立ち、打ち寄せる波の音を聴きながら、ノートとペンを持ち、詩を書く一時、異次元に飛翔します。波の音と風の音だけが聞こえ、風は古の香りを運んでくれます。なんとも懐かしく、胸動き、生まれるがままに詩を書き綴りました。夜の闇の中で、たった一人で海からの風に吹かれ佇む時、この時を知っていた魂の存在を感じ、人生の不思議さを想います。東京に生まれ育ち、考えたこともなかった滋賀県の琵琶湖を臨む比叡山に居を構え、工房、迎賓館、お茶室を創る人生の巡りとは何なのでしょうかと考えました。未来に答えがあると見え、今も尚、未知なる未来に向かい生きる人生は真に幸せと感謝します。風の音が変わり、ふと気配を感じ、まわりを見ると、暗闇の中に男の人がいることに驚き、静かに素早く引き上げ、立ち去りました。夜の闇の中でも道を知っているかのように、素早く動けますこともありがたいことです。その後、様々な巡りにより、続きの詩を書きたく、落ち合った仲間に番人となっていただき、ついてきてもらい、湖畔に立ちました。この場所こそが初めて湖畔に立った場所でした。ここから琵琶湖でのコンサートや高句麗伝説がはじまり、比叡山に拠点を創る巡りになったのです。再びここに戻る今日の巡りは、ここから新たにはじまる新しい世界に向かうことを風が教えてくれました。湖畔にて詩を書く時、打ち寄せる波の音は、遙か彼方より聞こえ、古よりの魂の声にも聞こえ、この世とは全く違う異次元の世界でした。波の音が止まり、風は続きは18日の琵琶湖ホールでの「高句麗伝説」。。。と伝えました。懐かしい風の香りに胸動き、悲しみ、愛を胸に湖畔を離れ、比叡山に戻りました。今夜は、マーブリングを行う予定でしたので、お茶室に行きました。すでに夜の11時となっていました。音も立てずに、静かに素早く動き、今日は夜も遅いので、小物のみを染める予定でした。山からの風も心地良く、いつまでもマーブリングをしていたい気持ちでとっても愉しく、幸せを感じました。私の胸の内には、弘前「高句麗伝説」のラスト近くに流れていた先生の演奏がずっと鳴っているのです。先生の演奏は覚えられないのですが、ここだけは覚えているのです。私は「おおいなる存在の詩」と名付けています。東京から比叡山に来る時に車の中で大音量で流していた時、なんとも心地良く、素敵な人生を歌うような演奏が聞こえ、人間の素晴らしさに感動する歌を聴いているようでした。気づけば、演奏と一緒に歌を歌っていました。うれしくて歌いながら涙がこみ上げるのです。この歌と呼ぶ演奏がマーブリングをしていると胸の内で聞こえるのです。それも風とひとつになり聞こえるのです。こんなに心地良いことがあるでしょうか。最高でした。いつまでもマーブリングをしていたいと感じ、明日予定していた大物を染めようかと考えた時、突然風の向きが変わったのです。風は今夜はこれで終わりなさいと告げました。自分はやる気満々でしたが、終わりなさいと告げた風の声が気にかかり、しばし考えました。夜も更け、静まりかえった山の中では、水の音が空間に響き渡ることを気にかけてもいました。門の外にでて、水の音を聞きに行きました。音は気になる程ではありませんでしたが、山の気配がただならぬエネルギーを発しています。何が起こるのだろうかと考えながら、マーブリングに戻ると、鹿の鳴き声がいつもと全く違うのです。鹿も終わりなさいと言っているように聞こえ、今夜は風の声、鹿の声に従い、終わりにしました。山の夜は何かがうごめいている気配がします。人間だけが生きている訳ではないとはわかっているつもりでしたが、この気配を感じると、わかっていたつもりとは違う体感に目が覚めます。先生のアナログシンセサイザーの演奏を聴かせていただいているので、わかることができ、とてもありがたいことと感じます。工房に帰り、12時を回っていましたが、高知のデイーサービス用に依頼されていた心模様カップ等に絵付けをしました。この時も、私は「おおいなる存在の詩」と名付ける先生の演奏が胸の内で鳴っていました。とっても愉しく、素早く制作ができ、豊かな時となりました。おおいなる存在の詩を胸の内で聴きながら動くことは愉しく、とっても良いテンポで動けます。動くことが愉しくてなりません。
夜にはお手紙を出した方から5枚のチケットのお申し込みがあり、最後までうれしい一日でした。ありがとうございます。