KEIKO KOMA Webサロン

音と、その経験


仙台の地でのコンサートをありがとうございました!無事に参席でき、また無事に帰る事ができました。

コンサートのはじまりには、身体の中に深い森林があるように見え、霧がかる空気と澄んだ木立がみえるのです。とても美しい音はこの身にきざまれるように経験しました。この日は何故か「ノアの箱舟」を想わせる会場でした。ピアノの音は美しい春の風が流れる世界であったりしました。何の思惑も説明もなく、何の枠組みもない音。その音にこの身ごと全て任せるようにしていると、私の身体ごと内面も全て、その自由な世界となってゆくのです。身体ごと昇ってゆくみたいで、それはすこしの蛇行もなくこの世の何もかもをビュンと通りぬけて行きます。何の塵の積もりもなく、闇もほこりのような今までのこの世の一切のものもない自分となった時、ほんとうにそのままの世界にいたのです。ただ、ひたすらすがすがしい命。こんなにすがすがしい世界。美しいはるかずっと遠くにあった世界はひらかれていました。これは、先生のおっしゃる真の男女の姿もこの世界と少しも違和しないのだろうと想いました。しかし不思議なのです。この美しい世界に生きる生命である時に、それはこの地上で最も人間らしく生きている姿であったのです。それはこの地上に根をはって地面をしっかり踏み歩いている人間の姿でした。それが幻想とか浮ついた世界、と言う人がいたら、そう言っている人の方が実態のない浮ついた生き方をしている人になっていました。地上の生命に水や光が必要であるように、これからはその美しい世界を知りそのエネルギーと通づること無くして、この地上では生きられないのではないかと思わせる光景です。はるかはるかずっと遠くに在った世界はこの地上に拓かれ、これからのこの世となるようでした。半年前の私の経験したことの続きは、これなのではないかとふと感じました。その時は、はるかはるか地球からずっと遠くへ目指して、どんどん地球から離れていってしまう心地でした。しかし一昨日のコンサートでの経験では、はるか遠くを目指しその世界で生きた時、最も人間らしく生きることだったのです。今までの人間の生き方は、新しいこの世とこの地球上では生きる場所がなくなっているようでした。今までこの世で生きられなかった生命がきれいな人たちは、春風のように空間を共に舞っているようでした。コンサートのメッセージは、そのお声からは崇高な世界を感じ、一生懸命お聞きしました。聞いたことのないカタカナの言葉にも私の知らない、何か果てしなく深い世界を感じていました。しかしその日の夜も更けて、母が「3匹のくま…」と言うのを聞いた時、その声から昔好きだった絵本のくまの絵が胸に生まれました。懐かしいぬくもりは父と母によく読んでもらっていた絵本とその声までを思い出させました。あの本のことかと喜び、私が「よく読んでくれてたよね!」と言っても母も妹も少しも覚えていないとのことでしたが、まさかあの絵本のことだと知って私は、ほほえみ生まれるその夜を過ごしました。

音の生まれるその空間に身を置くということは、その経験をもう一度と望んで配信を聞いてみても全く違うことを経験しました。『高句麗伝説』の会場でのあの体感、同じ経験を求めて配信を聞いたところ、それはそれで違うコンサートみたいだったのです。二度とできないあの場にいる経験を身に刻むように経験できました仙台コンサートです。ありがとうございます。

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