革まる時
新年あけましておめでとうございます。万全を尽くされての八坂・高麗ギャラリーカフェでの先生のお餅つきの機会をほんとうにありがとうございます。準備は毎年、大変なことと存じますが本年はどれほどまでに入念に準備をしてくださったことかと思います。先生、高麗さん、スタッフの皆さんと心よりありがとうございました。
コロナ禍でいつにないお正月ですが、東京からの青い空も美しい富士山の雄姿も、雪に包まれる山地も空間の美しいことに感動し、12月の先生のコンサートを経て、日本の神々が生き、働いていらっしゃるのではと感じるのです。神共に生きられる喜びはかつて生きた人たちは経験したことがあっただろうかと、この境遇に感謝が溢れて参ります。八坂への道行く中で受講生の方々に会い、胸に光ともるように明るくなります。先生、高麗さんに元旦に集い、お会いできることがどれほど嬉しいのでしょうと胸の鼓動は高鳴ります。お餅をつく先生のお姿を前に自分の落ち着きのない状態があらわになり恥じ、あらたまります。力餅を頂き、お漬物も清らかで白いコーヒーもどこまでも透明で清らかで、トータルにこんなに美味しいものが世にあるのかと大変感激しました。今年1年、ここからはじめられます。ありがとうございます。
離れに並ぶ、先生の桐箱の書を拝見していました。ふと「顕現」ということばが飛び込んできました。1年のはじまりの桐箱のすべてのことばが命となって、目には見えない精神の石垣が積み重なって1年を生きていくように毎年感じています。昨年、選ばせて戴いたのは「伸展」という書でした。ある1か月で目標に届き、拡げていくこと身体で覚え、未来への糧となっています。今年、戴きました桐箱の書は「七の賢しき」。幾つか気になっていた書は既に決まっていたのですが、魅かれてならないその言葉に、これまでの小さく狭まった思考は凌駕され、宇宙の智恵、叡智にいのちが出合い、革まっていっています。ギャラリーの2階には高麗さんの詩があって魂うずきます。高麗さんの詩に触れるとき、いつも悲願が胸の内にあるのを自覚します。
年末の人の落ちこみようは大変なものがあり、仙台で仕事で会った方もいつになく元気がありませんでした。盛岡からは久々にバスで帰ったのですが、乗ると息ができないほど苦しくなり、酸欠状態となりました。が、ミニサウンドシステムをひそやかにかけると、苦しみが空間にとけこむように何ともなくなりました。ちょっとした工夫と抜け出し口、解決はここにありと場を創っていくことの大切さに気付いた経験でした。アクションを起こせないでいると、世間と同化して曇ってきます。そして鈍くなってしまいます。人が辛いのが伝わります。けれど動き始めていくと先が見える、自ら動くことで顕現、あらわれることで、場も創られていくのかと。そして目に見えるものだけでないものが働いていることがわかります。
今日、賜りました糧を、活動、仕事の指針・導としていきます。1年のはじまりの日に尊い時と尊い場を、先生、高麗さん、ありがとうございます。