静と動
手制作ゆえ毎回違う仕上がりという事を越えて、明らかに進化された今回の陶芸作品を見ていると、人間もこのように生きていけるというプロセスを示されているように感じます。陶器に存在を感じ、琵琶湖湖底の土による比叡山での陶芸に縄文を感じることも、場を越えて生きる新しい思考にシフトさせてくれます。新しい時代の静と動は美しく艶やかでした。
何もないところで自分で表現し、存在を表し明確にしていく過程が最近の講座、コンサートに一番近い経験です。仕事や関係、習慣が周りにあり続け、存在証明をしてくれているような錯覚の時は完全に終わり、宇宙にたった一人ぽつんと在るような所から何を発信し生きて行くのかが問われるのです。いつも受け取る側である事が、今の時には適わず不調の原因になることも目に見えるようです。
古いものからシフトしていける日々が要の場にいる経験を生かします。
今日もウェブサロンで繋がる美しい日を有難うございます。