青い華
3月5日と6日のコンサートにて、真に未来なる光を得ることが出来ました。それは、5日の三鷹のコンサートにて突然、とてつもないエネルギーの対流を先生の演奏にみたような時から始まりました。みたと言っても、同時に自分の内にもそのエネルギーの只中が駆け巡っているようで、そうして私の胸につまっているもの、身体をふさいでいるものが押し出されていくようでした。先生のピアノに顕るそのエネルギーは、創出と変容のただならぬエネルギーでした。凄まじい勢いで、たとえ止まっているものをも変えて、それらを一斉に上昇をもさせてゆくようなエネルギーにこの身は乗ったようでした。そして私の胸の中の何かも動き始めたような気配がしました。父が今元気でいることはわかってはいても、どうしても私の身体と記憶の中にいる少し苦しそうだった父の姿はどのように変わっていくのかなということが最近の私の課題でもありました。しかしこのコンサートの凄まじい演奏の只中に身を置いている時、父は今最も好きな人と一緒に居られているのではないかと確信しました。父は今、幸せなのかとその光景を見た瞬間に私の身体から肩からすっと荷がおりていました。私って、今の今まで、父をどこか心配していたんだという情けない自分を身にしみてわかりました。その瞬間からというものは、『れいちゃん、きいてよ!俺今こんなんなんだぜ!』と嬉しそうにうったえる父の声が聞こえるようで、しかも数日前のコンサートで垣間見た父の姿とは比べものにならない程のところに既に居るようでした。最新の父は、この世の粗雑な念とは無縁のところで輝いていました。この3日で、こんなに超次元的に超スピードで、こんなに若々しい姿となっていることに私は驚きをかくせず、私の身体と記憶に押しとどめ閉じこめていた父の姿とは、全くの別の世界で今の父は生きているようでした。あまりにも若々しく、初々しく、みたことのない笑顔でいる父は、心の底から先生と高麗さんにお礼を言っているようでした。嬉しそうにはつらつと居る今の父の姿が、先生の演奏と共に全てがひとつに溶け合いながら、私の身体に閉じこめていた記憶の中の父の姿を昇華してゆくようでした。一緒に溶け合って、そして私が閉じこめてしまっていた父はもういなくなっていました。それから、私の身体はまるで変わっていました。その瞬間から身体は軽くなり、元気になっていることを経験しました。
そして私の記憶の中の父というのは、今の父からするとかすりもしないような全然ちがう世界の話みたいで、私が記憶の中の父を思い出してぐずぐず言ってみても、『なんの話?』というくらいに今の父には何も関係がないことのようでした。それで、私もポカンとしてしまって、あとはこれから生きていく人間が道を切り拓くだけであり、私はどう生きるかだけであると気づいてからは、私の生きる方向はまるで変化したこの身体と共に、急いで切り替わっていくことを経験しました。私が記憶の中の父を追ってみても、その過去にどんどん身体は重くなるばかりであります。しかしコンサートで経験している新しい父の姿、それも日に日にめざましく発展する人間の可能性に目を開き、私は生きてゆくこととします。そしてさらにコンサートで、父にすごい熱量を以ってして『かいてよ!俺が今こんなに幸せだってことかいてよ!』と言われているようで、その約束を果たすことにうれしく向かう今であります。
誠にありがとうございます。