KEIKO KOMA Webサロン

雪降る夜に。。。


立春を迎え、内面の光景にも春の訪れを感じ、春のような明るい日差し差す東京から比叡山に向かいました。どこまでも澄んだ、透明感あふれる真白き雪をかぶる美しい富士山が目の前に大きく迫り来るように現れた時は、神に出会ったようで、深く感動しました。その雄姿を見させていただくだけで光栄と感じ、幸せを感じました。道中、とても寒いことに驚きました。まだ冬なのだと気づきました。私は3月と勘違いしていました。寒い中にも紅梅、白梅の花が咲いていたのです。とてもうれしい気持ちになりました。

先生と食事をしている時、頭の中は、仕事のことを考え、何を食べているかもわからずに、一気に食べていました。よくしてしまうことです。お腹が空いているのか、一杯なのかもわからない状態で、自動的に食べてしまうことが多いのです。京都、八坂の地に「高麗」の看板を立てるきっかけとなった八坂神社での出会いの時を思い出しました。あの時も寒中に咲く梅の花に引き寄せられ、梅の木の下に立ち、ほのかな香りを感じていると、突然、何かの気配がし振り向いたのです。胸の内でドキッという音が聞こえるように、衝撃を受ける光景を見ました。古の坂道です。胸の奥ではずっと昔に見た光景と感じ、記憶を辿りました。自分が生まれる前まで辿るよりなく、遠い昔にこの地に生きた高句麗人の記憶と行き着きました。そして生まれた詩が「ここに高麗を。。。ここに高麗を。。。」です。その後、神社内にある茶店で、厄除けぜんざいを頂きました。頭の中は古の坂道と「ここに高麗を。。。」のメッセージで一杯でした。熱いぜんざいを一気に食べてしまい、先生からこんなに熱いのによくそんなに早く食べられるものだと驚かれたことまでよく覚えています。口の中は大やけどしていました。それすらも気づかない程にただ口の中にぜんざいを入れていたのです。そしてその時の胸のときめきばかりが心にあり、皆に厄除けぜんざいはやけどしても気づかない程美味しいと話したので、多くの人は食べに行ったと聞いています。今日も、頭の中は他のことを考えていました。先生に注意していただき、地に足がついたようでした。いつも何処にいるかわからない感じであったり、頭の中で色々なことを思い巡らし、地に足がついていない感じが最近の苦しみでした。食べることはどうでもよく、ゆっくりと食べることなど滅多にありません。このままでは続かないとは感じていても、止められませんでした。先生に注意していただいてからは、頭の中が自動的に動く感じもなくなり、地に足がつき、心も頭も落ち着きました。いつも何かに急かされているようで、じっとしていられないのです。誰も急かす人はいないのです。自分で自分を急かしているのです。今日も生命拾いしたように感じ、安堵しています。今の時は生命に負担が掛かっている生き方、癖、全て現れ、改善するより生きていけないことを生命をもって教えられます。

比叡山に着き、お手伝いしてくださっている仲間と工房にて、先生焙煎のGUJIコーヒーを頂きました。ゆっくりと一杯のコーヒーを先生が創ってくださった器で頂くひと時はなんて心豊かに満ち、幸せなのかとそのひと時の尊いことが身に沁みました。時間が生きるとは生命が生きることと感じます。急いで、生命に負担がかかるように生きても早く死んでいくことになると気づきます。心豊かに落ち着く時間はとても生命が豊かにはたらいていることを感じ、感謝の気持ちがあふれます。

外は雪が積もっていました。寒い中でも心ぬくもる時を生きていけますことが人間の暮らしと感じ、先生焙煎コーヒーまでいただける今、豊かに生きていける条件は揃っていますので、全てを正し、生命が生きていけるように、生きることを考える雪の夜です。ありがとうございます。

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都市センターホテルにて
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東京高麗屋にて