雨上がりの道
京都応用コース、存在論、そしてビデオ講演会の一席に身を運ぶことができました。毎月ある講座ということではなく受講前の私はもう落ちていくしかないという不安と恐怖でそれこそ必死の思いで身を運ぶことができたのです。大げさのように思えますが、自分を貧しくくくり、自分の頭だけでの世界に住んでいました。意識は昨日がなければ、とぞっとします。先生の講座は本当に座っているだけで自分の重荷を皆受け入れてどんどん体が軽くなります。烏丸の駅から京都事務所に向かうのは何かを背負っているようで歩いても歩いても行きつくことがないように感じました。帰りは雨も上がり飛ぶような足取りで駅までの道を歩きます。ビデオ講演会にも頭では無理と思っていた申し込みしていました。生の高麗さんの言葉に触れてこれを経験しないことはとんでもないことと改めて感じます。まだまだ課題はありますがこの経験を忘れず次に向かいます。コンサートや講座は先生と自分だけの一対一のものでした。