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関係が豊かになる


さきほど途中まで書き込みをさせていただきまして、有難うございました。今回の東北では出来るだけ、これまでお話をあまりしたことのない方に声をかけてみようとし、実際してみました。それが全く悪いわけではないです。でも関係が、お互いが存在することの証として成っていかないと、せっかく体の反応のままに挨拶をしたり軽い会話を交わしても、単なるおしゃべり、自分の声も雑音にしかならないんだと感じました。行動したすべてが悪かったわけではありませんがそのような反省点もありました。そしてもしかしてコロナを理由に青森の仕事を止めていることは仕方がないと思っていたけれど、なんだか逃げているかもしれない自分の状態に気が付きました。実際語る会ではみなさんや先生、高麗さんのお話をお聞きするうちに、青森のあの人、この人の顔が浮かび、これからも継続して行われる難民支援などは喜んで協力をしたがるだろうなと考えてしまうのでした。そこで私の実力が無いので小さい額しか動かないであろうことは課題です。器が小さい。信用を得られるようにまず基本を整えることが必須であり、これまでの生き方を清算する時です。コロナで地元へ戻りにくくなった件とは、ずれますが、地元の活動といえば、真剣にやっているのにおじさんにお尻を触られたりすると、ガクッとやる気がなくなることがありました。立ち直るために「嫌だけどまあおじさん達も奥さんと上手くいっていると思い込むためにがんばって疲れているんだ。尻の一つや二つ触らせてやり逆に利用して前向きに生きればいい」くらいに本当は憎んでいるのにそれを隠しながら思っていました。そうでも思わないと自分が惨めでやっていられなかったし、そんな自分はどこか賢いとまで勘違いしていました。そういう自分を貶める経験が続くと存在は消えていきます。極端にいえば疲れたおじさんにお尻を触らせてあげるのが自分の存在、くらいに思っていってしまいます。自分はもうそんなことにも慣れきってしまい、自分の存在などその程度だとかなり本気で思っていました。約20年間もの長きにわたってそう思っていました。年を重ねてきたことで幸いにも終われるとかそういう問題ではなく内面の問題で、もしかすると今も自己イメージがまだ拭い切れていないかもしれません。しかし子供達に将来同じ目にあわせたいか?と考えると答えは明白です。そうではなくて、あるものは無くして、もっと全うに生きます。おじさんも、最初からこちらがなめてかかれば、そういう対応しかしてこないのだと思います。存在を出して関係を築く訓練となります。相手のきれいなところを引き出せる自分となります。

育たない関係は関係ではない、とお聞きしました。実際、自分が「出す」ことで人が変化するのを経験しました。これは言い方を変えれば、自分が「出さない」と相手も「出せない」し可能性に気付けないことすらあるということです。自分のプライドを守るために人を油断させるということは、相手も自分も殺すのと同じかもしれません。

「死んだ気になってはたらく」、「命を賭ける」ことはダメで、そんな状態では仕事やケアなんて出来たものではないことも『死について』でお聞きしました。このあたりはとても良くわかると同時に、あまりに地元や身近で、また自分の問題として見かけ過ぎた光景なので言葉で整理されていかないものがあります。責任放棄という感じでしょうか。死んだあとどこへも行けないと感じます。

こんなに講座に来て良かったのか?と立ち止まります。

講座に出ないで、その分をご寄付に回したほうが良かったのかな?とか思いましたがそういうことではないんだろうと、そういう考えだから大成しないし理想の金額を稼ぐための次のステップへ移れないはずです。

読んで下さりありがとうございました。

 

追記ですが

ようやく死に向かい生きることがわかりました。死の恐怖をわかると余計な不安はなくなります。死ぬ気でやる、命をかける、と死へ向かう在り方の違いもわかりました。ここはとても重要です。希望に任せて場を飛び出し貨物列車の冷蔵庫に飛び乗りお亡くなりになった海外の方のお話をお聞きし、その方は死ぬ気でおられたのであろうと、命をおかけになったのだろうとご冥福をお祈り致します。死ぬ気で向かえばなんとかなるよね!と衝動に任せて動き、お財布が空で自動改札を抜けられない。大いなる存在が助けてくれると思って、〇〇さんに言われるままに動いてみたのにやっぱりだめじゃないか・・・これが、命懸け、死ぬ気でやる、です。一巡した、とお聞きしましたが、私は一巡目のときは死ぬ気で生きること、命をかけることと、全うに死の恐怖を感じ余計なものをなくしていくことの違いがわかりませんでした。今は怒濤のような日々の中でただひたすら生きること、この先も死ぬまでこうなんだなとわかり、いだきで生きるということは死を見つめ、これまでを捨て真の人間になるしかないんだとわかりました。

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六本木 高麗恵子ギャラリーにて
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山元町 結工房にて
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