遮る達成できなかった記憶たち
先日の狛江応用コース直前には既に陰性反応が出て一週間経っていましたが、どうしても足が向かず。このままではよくないと今日は思い切って午前中にコロナウイルス後遺症外来へ駆け込み、その足で満を持しての参加でした。
結論から言えば、おかげさまでずっとずっと胸に支えていた本音を表現できました。ありがとうございます、と3、4回連呼したいくらいの感謝です。
第一部のメッセージ、「動機を活かさないままでスタートしていない、止まったままでいるあり方が問題です。
はじめたら必ずある目的とか目標があるはずですから、
達成するまでやり遂げてしまう、あるいは目標は達成したところで
更にスタートしなければならないかもしれません。」に、この不調を感じる原因はまさにそのためだとわかってはいるんだよなあ、と共感を抱いたものの、そうは言っても、やらなきゃって力込めて思い込んでもまるでできる気がしない、じゃあいっそのこと切り替えて恨み辛みを一切吐き出して緊張を抜くところから始めるか、大きく筆で書きなぐってビリビリ破いたら気持ちいいだろうなと考えていました。
ここのところ気が張って全く眠れていなかったので、第一部は心地よさを感じつつ半分寝ていたような気がします。
第二部のメッセージ、「愛は深まり、広まり、成長してはじめて愛といえます。
もしも、はじめて知った愛をなつかしむようにしたら、ほぼ愛はなくなっています。愛はとどまることはありません。」には深く頷くとともに、深まり、広まり、成長する感覚をわかりたいと願いました。聴きながら、この音に抱かれたら気持ちいいだろうなと思い、気持ち身を委ねました。
幸せな気持ちが胸の内で広がったり高まったり深まったり。なんて気持ちがいいんだろう、これがメッセージにあった広がりや深まりかしら、もっともっと感じたい!と身を委ねていると、過去のろくでもない思い出がそれを遮るように現れました。
それは仲間に入りたいのに入らない、高校受験に合格しても虚しかったこと、どんどんどんどん本当の気持ちから目と背を逸らしてきたことによる偽りの達成感。こんなろくでもない記憶ばかり頭にたくさん詰め込んでいて悔しい悔しい悔しい、虚しい虚しい虚しい、どうしてろくでもない記憶ばかり詰め込んでいるの!との後悔の気持ちとともに涙がボロボロ出てきました。
人前でみっともない、と表現するのを遮る意識が出てきましたが、ここで今ちゃんと表現しないと後悔しそうな気がするし、この場には涙を流してそれを笑う人なんているはずがない!と気を持ち直しました。涙もそうですが、拳を握って机をガンガン叩くような素振りも気づけばしていました。ろくに幸せを達成したこともないのにどうして自分のコピーを作ろうとした!←これは今は亡き母への恨み辛みですが。
今は改めて、本音を表現できてあーよかった、ホッとしたで終わらせたくないなあと思っています。~せねばのねばねばから脱け出して、コンサートで体験させて頂いたような体がつい動いてしまうような幸せな気持ちが高まったり広まったり深まったり、いい記憶を積み重ねていっぱいにしたいと願うばかりです。一人でできないなら、改めてもっと周りに協力を仰ごうと考えています。
ありがとうございます。
中川秀之