遥かなる旅の途中
いつも病気の時に見る夢は、大きな大きな何かが窮屈にしている感じ。久しぶりの身体の具合は、見る夢まで昔と同じだった。いつもこの夢で私は何を見ているのだろうということが長い間の疑問だった。夢なのか…そのまどろみの中で見る光景の正体は、自分の頭なのだということがようやく今日わかった。それは、頭だけがあまりにも肥大化してしまった私の姿、身体は頭の何千分の一くらいしか無いみたい。とてもとても大きな自分の頭に身体は押しつぶされ、動けなくなる。身体が動かなければ、当然頭だって動くことはできないから、身体を押しつぶしながら地面にごろごろと転がっている。身動きがとれなくて、変なこと。けれど昔とちがうのは、その頭が更に更に大きくなってしまっていたこと。昔よりも収集がつかない程、大きくなっていた。頭は窮屈だった。こんなに大きくなったのに、もうただ大きくなるだけでは無理がある程だった。ずっと窮屈だったんだ。頭に入りきらないものを詰め込んで生きてきた。それはどんどんどんどん大きくなって身体を滅ぼそうとするまで大きくなって、そして頭はズキズキと痛かった。脳が頭からビリビリとはがれるような痛さがした。ただこうして頭脳や意識が肥大化する自らの生き方は進化する時を迎えているのだと知った。窮屈を通り越してあまりにも大きくなって破裂しそうな苦しさの頭は、どこからか切れ目が入って、やがて開くようだった。ぱかっとようやく開いた頭は、そこから何か植物が生えて、やがて花のようなものが咲いているようにみえた。
不意に、「源にかえろうか」そう声が聞こえた気がした。その声を聞いた途端に私は、ようやくこの時が来たんだと、帰ることがゆるされるのだと思った。時が来なければ、それはゆるされぬことだと思っていた。どこかに帰るなんて考えたこともないのに、その声を聞いたときに、なぜかこの時がようやく来たとよろこぶ自分がいた。お父さん、源の故郷にかえりたい、と私は心の中で声の主に言った。私に父さんと呼べる存在は今までいないのに、お父さんとより言えない人がそこにいるような気がした。長い間、迷子になっていたのに、ようやくお父さんと会えて、「かえろうか」と言われたときのような安堵が広がっていた。あまりにも迷子の時が長かったので、まさか帰れる時が来るとは、魂の底の底まで忘れていたような心地だった。しかし私はこの時を長い間ずっと待っていたんだということを一瞬にして思い出したようにあった。けれど、私はどこか身体が本当に悪いのかという自覚の最中にもあったから、このまま「源へかえる」というと、もしやそれは「死」なのか…という恐怖は、一瞬私の心をかすめていた。けれど、源へ行くのならば、ちょうど今私の隣で眠っているこの人も一緒に連れて行こうと思って、私がその人の手を握ると、「その人は一緒に行くことはできないよ。身体の準備がまだできていない人は、一緒に行けないんだ」とその声がまた聞こえてくる。その声の主は、暗闇で、姿はよくみえないけれど、10歳くらいの声の若さに聞こえる。私は、そうなんだ、と思い、握った眠るその人の手をそっと離していた。
源へ行くって一体どこまでどうやって行くんだろうなんて考えていた。すると不思議なことに、人生のいろいろな場面で私が嫌だったこと、本心では嫌だったことが次々に思い出された。ほんの些細な嫌だったこと、それらが私の身体に溜まっているようだった。そうか、あの時々で、ただ自分にはどうしようもできることじゃないって見殺しにしていたことが、自分をも殺しているようだったのだと気づいた。この身体にあったのは悲しみでもあり、死んだような魂でもあった。なんで今こんなものを見ているのだろうという気持ちがありながら、一挙にそれらを駆けぬけて到達したのは、私の知るこの世ではなかった。遥か、どこか遠くの静かなる平野へ降り立った気持ち。胸の中は、どこかの朝焼けの空と、まだ誰も吸っていないような朝の空気が満ちているようだった。それは、コンサートで経験する場所だった。気づくと身体の重みも痛みも、何も無かった。この身体が在るのはずっと同じ現実の部屋であるのに、『居る』場所が全然違った。それまでの身の苦しみもない。頭の状態も、この身体全ては、別の世界の空間にいるようだった。ねぇ、どうしてこんな事ができるの、と私はおぼろげな姿の声の主に聞いていた。その時の自分の発する声が、あまりにも親しい人に言う声だったので自分でも少しびっくりしていると、すぐに答えはあった。「いだきしん先生がこういう事を出来るようにしてくれたんだよ」と。先生って本当にそんなにすごいんだねと私がたまげて言うと、更に「ここはね、まだ経由地点なんだよ」と彼は続けて言った。どうやら私たちが目指す先はまだまだほど遠いらしいと、私は直感した。
私はそうか、と思った。これほどの世界をいつも経験してわざわざ昔の古い生き方に勧んで戻っているのは、自分自身しかいないことは、見えてわかるようだった。この世界に生きた上で、古い生き方に「戻る」ってことは自分自身で勧んでやらないと無理なことなんだ、と。戻ることに鍛錬と修練でも積まないと、この世界から戻ることは不可能なのに、わざわざそうしてるということなんだね、と誰にともなく私は語りかけた。不意に先ほどからの声の主は、気づけば先ほどよりも姿が鮮明に見えているような気がした。そしてふっと「自分の源、本質的な存在を受け容れないと本当に病気になっちゃうよ」と私に言った。私はどきっとして、頷いてそうだよねと応えた。それ以外に理由など、ないと思った。
「さて、ここはまだ中継地点だけど、この先どうする?」と聞いてくれるので、もちろんその先まで行きたいと言う私に、「行ったらもう戻れないよ」と言うので、めずらしいことを言うんだなと思った。いいよ、もう苦しいところには戻りたくない。戻りたいところは私にはないの、と私は言い放った。戻る、だなんて頭をかすめるだけで、あのひどい頭痛と全身のだるさがおそってきそうな気がした。相手はやさしい顔でうなずいて、「明日の朝には良くなってるよ」と言った。なんだ、もう寝るだけなのだと私は少し拍子抜けして、やさしい声の響くこの身体に身も頭もゆったりと委ねて、心地よい空間にいた。突然、私ね、先生の力になりたい、先生の役に立ちたいの。と私は相手にその言葉を発していた。それは遠い昔の幼い頃の自分の声のようにも感じた。誰にも言ったこともなければ、ちゃんとした言葉で自覚をしたこともなかった。けれどその瞬間、私の身体の真ん中の奥の方から、火花のようなあたたかい光の流れが沸き起こり、一瞬にして、全身へと流れた。同時に身体の中に違和感としてあった寒さが冷たい塊となって身体の外へ押し出されるのを感じた。全身に温かな血が巡っているようだった。そのことに私が自分でびっくりしていると、「それはいいね」という彼の瞳には何故か涙が光っているように見えて、その存在は一段と輝いているように見えた。
いつもふたをしていたことを、語り合ってくれる人がいて、私はうれしかった。こんな話をできる人は今まで知らなかったから、私は満たされて幸せだった。源の光に出会ったら、皆、人間になることは明らかのように思えた。皆が『人間』となった時、それでも必要とされる仕事は何だろうと私は考えていた。皆が人間となった時、それで仕事がなくなるような自分で在ってはいけない、と。皆があたりまえに幸せで健康で生きられる世界で、その人たちに必要なことは何だろう。その人たちのお役に立てる仕事って一体どんなことだろうと考え馳せる時、その世界が来た時に焦る自分で居なくて良いと思ったし、この時が来ることを邪魔する人間にならず、生きていけると指針を持ったところで、私は眠っていた。
朝おきて、本当に身体は快復に向かっていて、昨夜までとは別の身体のようになっていた。23日のコンサートへ行ける身体になっていたことに感謝の気持ちで一杯だった。
遥かなる旅は何処へ到着するのか…。その旅はまだこれからです。ここまでの長い旅の道のりを、ありがとうございます。