運命とかれたいのちのかがやき
今まで運命について 実は真剣に向き合ったことがありませんでした。本当に今更こんなことを言うなんて 申し訳ないことです。頭では「こういうものだ」と了解していたことを、今日初めて「あれも運命?これも運命?」と問いただしました。
この性格、この体質(血管や骨の細さとかも)この性癖、この感性、感情パターン、思考パターン、みんな運命?と一つ一つ意識しました。生まれや、親や、地域や、日本がいまこんな状態であること、世界がこういう状況であることも、それもみな運命?と。
運命を考えると、しらけてきます。生きるのがつまらなくなります。
ということは生命に反することのようにも思えます。
天のはるか向こう、開かれない限り、、、というフレーズが頭の中で響きます。
いだきしん先生が、6か月の時に呆然と柱に寄りかかっておられたというお話が思い出されました。そこからスタートされ たくさんのご病気、入院繰り返され、死ぬ目にもあわされながら生きて下さり 横須賀、仙台、東京と、お出でくださり、お会いできました。
「運命愛」というニーチェの言葉は、本当は以前にもお聞きしたことがあったはずなのですが、よくわからずそのままになっていました。今日あらためて、「自己の運命を積極的に肯定し生きぬこうとする態度」とお聞きして、積極的に肯定する、というのを演奏をお聞きしながらやってみようとしました。が、能力ないのもアタマ悪いのも品格貧しいのも日本がこんなになっちゃってるのもみんな運命よねと、それ受け入れて愛するのか、と考えると悲しいばっかりで 愛に至りません。しかし、いだき講座を受講させていただき、先生にまるごと受け入れていただくという とんでもないことを、すでに経験させていただいています。直ちにあらゆる運を受け入れ、愛に変わることができる、、驚きです。
先生のピアノの美しい音に 身体は全身安堵し、細胞が喜びハレーションを起こすように輝きます。
椅子に座っていることも忘れ、呆然とすることすら忘れ、ただもう、いのち輝くことのすばらしさをよろこび、新世界をよろこびたたえます。
府中コンサートありがとうございます。