KEIKO KOMA Webサロン

透明にひとつ


広くて愛ある世界。

真と外側の間に何枚も薄皮や時に厚紙すら噛んでいて、なかなか通じていかない状態はコンサート中も良く現れました。特に何か、万引きですとか、横領ですとか、詐欺とか、暴れてものを破壊して警察のお世話になるとか、世の中的な悪さをしていなくても、今の何枚も噛んだ状態は、罪なのだと感じます。自分詐欺罪とか、自分暴行罪なのだと。自分にすることは、他人にもしていること。つまり自分に、大切な人にするように、していく。そうすれば大切な人にしたいように、できる。

今回初めて自分はいだきへ行きたくて行っているんだとわかりました。いだきへ行きたい自分を認めないままいだきへ来ていたという状態。

自分に『これ、どういうことかわかりますか?』と問います。なんで、あるのに、ないことにするのか?もちろん家族や周りには隠さず『いだきへ行く』と言っていますが、同時にまさか、自分が、いだきへ行きたいわけがないと頭で否定したまま、体はいだきへ向かう。これは一体どういうことなのか。なぜ認めないのか。。。

丸坊主になって廊下で正座をさせられ罰を受ける私は、しくしくと下を向き泣きながら、それでも真へ近付けた喜びに感謝し、どこか幸せそうです。

いだきにだけ行けばなんとかなるということではなくて、いだきで生きる=全て同時のたくさんの学びです。要はここと、体は知っている。冗長な時は過ぎ真へと隙間無く向かいます。コンサートをありがとうございます。

自分によそよそしくならないコツを少しつかみました。自分によそよそしいと、どんなに隙間時間を使って体力も使って努力した、といえる状態でも、結果がギリギリであったり先を豊かに創っていく状態とは遠いのでした。

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