逃したチャンスと気づき
高麗さんが書いてくださった書き込みとビデオ講演会のお話しから、「毒を出すように書いて書いて書いていく」そして書けなくても書いていくとの先生のお言葉を伺い、ひたすら書いていくと、自分で予想もできなかった言葉が生まれ、気づきが起こり、自分がこだわっていたことが消えていく経験をさせて戴いています。椅子取りゲームのような競争社会で生きている自分は、排除されることの恐怖から人を排除していると自覚いたしました。
いろいろな気づきが起こった今、11/1の新宿「高句麗伝説」を真剣にお聴きしたいと願い、2月1日の聴く会サロンに申し込みました。駅に向かう途中から、体の不調を覚え、途中下車して休んだものの時間はどんどん経過し、最後は伺わない選択をいたしました。呆然としながら帰宅した後の様々な巡りも悪く、自分の選択は間違っていたことを痛感いたしました。「高句麗伝説」コンサートを再度お聴きできるという、外してはならない大きなチャンスを逃したと身に沁みました。いだきが生きる場であると自分は分かっていることも甚く分かりました。逃したチャンスは二度と戻ってきませんが、生きるチャンスを外さないで生きていくことが、これからの自分の生き方であると分かりました。実現に向かい毎日生きていきます。
五十嵐泰子