迎賓館コンサート
ヤマハホール、三鷹でのコンサートの続きが、本日の迎賓館コンサートの経験であったことに、天と地がひっくり返るほどの内面の変化の経験をしています。一部では、どんなことをして頂いたのか、忘れているけれど、このようなことだったのか、と今、解らせて頂いたような、いだき講座をして頂いているようでした。人間は何故生きることができるのだろうと、前から感じていましたが、実際に人間の生命はこうして光を受けて生きているという真を、みえた光景の経験で分かると今までの謎が紐解けていくようで唖然となります。一部を経て、二部にて、音からみえる光を言葉にしていくと、自律、健康、となっていくのです。きれいな光とひとつにある生命は、愛です。ひとつ、大事なことを二部で決めたこの日です。曖昧で動けなく、自分でも何故こうなのか、混迷にあったことは、みえた光から、訳がわかり、では、どうするのかと、理屈から言葉になり、本音はここにあったと、逃げる所も隠れる穴もなく、自分のやることを影から表にしっかり現し、やることに決めます。高麗の地ではこんな季節なのに、夜は花火が上がり、夜道に近所の人たちが集まり、夜空に幾つも上がる花火に魅せられていました。
人間は何故生きるのか、どのようにし生きるのかが解ってきますと、それをやり、実現していくことが生きているうちにやること、と言葉になり、胸の内は、どのような人間も、親からいのち頂き、生きているということに、自らのいのちのしくみを解らずモノのように扱い生きていたことに、謝りたくなります。この空間に介在するみえないはたらきこそ、先生のはたらきであり、先生のことをわかる高麗さんの存在があり、はじめて真実が解ってくる空間であること、このたびの経験は一生涯忘れないでしょう。先生の演奏から光のはたらきを解り、生命助けられ、感謝につきません。この気持ちのままに、11月1日の仙台コンサートに向かうと先はどうなるのでしょうかと心据えます。内面きれいに、余計なものをなくしていき、向かいます。ありがとうございます。