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貧しさからの脱脚


武蔵野市民文化会館でのコンサートをありがとうございました。

第1部では、自分が、経済的に貧しい状態を「貧しさ」と考えていたことがわかりました。かつて海外で仕事をしていた際に、他国からの移民ばかりで構成される職場で働いていました。そこは、私にとって大学卒業後の初めての職場でした。労働者は異なる複数の会社から派遣され、派遣元である雇用主により、給与体系が異なりました。新米ながらも大卒出の私の給与は、非大卒者がほとんどを占める周囲の人たちに比べて良かったのです。しかし、与えられた仕事の内容は同じでした。そして、職場では大学で習ったことは全く役に立たず、明らかに私よりも仕事ができる人が多い現実にショックを感じていました。しかし、能力以外の要素で評価される社会の仕組みにより、私はどちらかというと「守られる側」に居ました。そのためか、貧しさとは主に経済的な貧困を指し、その多くは、主に生まれた家庭の経済的な環境と、社会的な構造を原因とするものと理解していました。その点、たまたま自分は生まれた国や家庭環境に恵まれるなど、貧しさは自分とは無縁のものとして切り離していたことに気づきました。

ところが、第2部では、「貧しさ」が実は自分の中に潜んでいたことがわかりました。周囲の人たちを愛するように生きていたかというと、必ずしもそうではないと感じました。時にはどうしても競争心に駆られてしまう自分がいます。他人との比較や平均値を基準に、自分を相対的に捉えようとするのです。上記で述べた大学卒などの社会的な地位もそのひとつです。そして、他人との関係においても、相対的に捉えていた部分があったと感じます。そのため、無意識ながら他者との間に壁をつくり、時には自分から孤立してしまうケースも何度かありました。このような状態では、他者を愛することなど到底できないと感じ、ありのままの自分として生きたいと感じました。そして、その大元の原因は、尊い生命を有する自分さえをも、あたかも商品価値のようにモノとして扱う面があるからではないかと感じたところで終演となりました。

アンコールでは、以上のように感じたことを踏まえ、手拍子に臨みました。すると、これまでにない一体感に包まれる経験をしました。これまでは、会場の拍手の音に惑わされないように、ピアノの音に集中し手拍子をしていました。しかし、今回は、ピアノ、会場の手拍子、自分の手拍子の3つの音が同時にはっきりと聴こえました。そして、これまでにない気持ちの良い音が、自分の手から鳴り響いていたと感じました。

ありがとうございます。

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