豹変する私
本日の府中コンサート、第二部のメッセージで表現してくださった「豹変する」ことが、私にはあります。
以前は、夜中でも無性に食べたくなると、豹変したように一目散に深夜営業のスーパーに行き、ウエハースやお煎餅を買って外のベンチで一袋バリバリ食べてしまう事がやめやれませんでした。けれども今は、その様な豹変はなくなり、精神的にも楽になりました。
しかし、今だにあるのが「自分の間違いや欠点を指摘されたと感じた時に豹変する」ことです。身近な方はご存じと思います。自分では「感情の高ぶり」とか「癇癪」と捉えていましたが、「豹変する」がピッタリ当てはまります。興奮して泣きながら、自分が頑張っている事を主張します。
本日のコンサートメッセージを聞いた時は大変嬉しく、演奏中は集中していだきしん先生の表現をお聞きいたしました。
コンサート中も、今も、「これが悪魔だ」という正体を暴いた言葉にはなりませんが、紐解いていきます。今、思い出している事は、「子どもの頃、親にも、幼稚園や学校の先生にも、大人全てに本音を話す事が出来なかった」ことです。安心して話せたのは、一部の友達と、飼っていた猫や犬、一人でいる時、本を読んでいる時、日記を書いている時でした。今も、話す時はまず言葉を選びます。これが悪魔で、今日のコンサートで正体を暴いて解決に向かえるなら、人間丸ごと変わります。
紐解く努力を続けます。
高橋陽子